『蝉廻り』‐036
”味噌汁…だ…。” ホンワカと湯気の立ち上る具だくさんの味噌汁がことっと置かれた時のこの感動。あぁ健司…僕の朝ご飯は味噌汁と共に始まるんだぞ...。この優越感と言い高欲感と言い、たまらない。お箸を持ったまま感動に浸る僕は皆の注目の的だったらしい。深く吐息を洩らしお椀を手にすると皆の視線に気が付いた。”な、なんですか皆して!!もの珍しそうに!!” 誰もがぽかんとしながら動きを止めている。”ちょっ、ちょ!!なんですかぁ!!”ぴちょっと味噌汁がこぼれる。”白沢…そんなに味噌汁が…すき…なのか?”ぽつっと柏先生がこぼすとブッと皆が一斉に吹き出し笑いをする。思わず顔が赤くなりふてくされながら味噌汁の大根を突き刺して食べた。
ご主人とおかみさんが揃ってお見送りをしてくれた。本当に仲睦まじく、二人で顔を見合わせながら ”また来てくださいね”と言ってくれる。”はい、また来ます”とみなが声を揃えると、康太君が勢いよく裏庭に続く芝を走ってきた。途中でスリッパがぽかっと脱げてケンケンをしながら脱げた靴まで行くと、素早くすぽっと足を入れて僕達めがけてまた走り出す。”なーにやってんだか康太は…”呆れた顔でご主人がおかみさんに顔を向けると、おかみさんは さぁ?という顔をして肩をすくめた。
”おねーちゃん!!いた!!オソメいた!!”和風さんに思い切り顔をグッと突き出していう。”見つかったの?”嬉しそうに和風さんがそう言うと、頭をぶんと大きく縦に振ってにんまり笑う。”でぶオソメ元気に泳いでる!!” 彼の笑顔は僕達みんなをも笑顔にした。”康太君…「でぶ」オソメでも、康太君を最高の笑顔に出来たんだね” 軽く意味深に言ってみると、少しの間ぽかんとしていた彼は あっ!っと漏らして、”うん!!ありがとにーちゃん!!”と言ってくれた。
”ん?なんだデブオソメって?”三井が眉を寄せて考えている顔を見て僕達はくすっと笑った。
だんだんと小さくなってゆく筑波山…二つの山頂がゆっくりと一つに重なっていく。そんな風景を僕達4人はそれぞれの想いをもって眺めていた。
”また…来たいわね。” 篠崎がいう。
”次はどんな景色が見れるのでしょうね…” 三井がぽつりとこぼす。
”筑波山…か” こんなにも素敵だとは正直思っていなかった。
それは多分…この車に乗り込む全ての仲間がいたからこそ美しくなったんだと僕は思う。
”またいつか…このメンバーで山頂で笑い合いたい…”
和風さんの口からこぼれた言葉達は僕達6人全員の心の中に深く根を伸ばしていた。
”到着!!!いやぁー本当に楽しかった!!” ”運転お疲れさまでした!” 白いワゴンは僕達の旅の出発点とまったく同じ場所に停められた。”これからまた高いビルの間に埋もれる生活かぁ~” 三井ががっくりと肩を落とす。”なーに、また企画しようじゃないか!なぁ成瀬” 柏先生が教授を振り返ると ”あぁ、また何処かへ出掛けよう”と穏やかに言った。”明日からまた一週間頑張るわよ!!遅刻するんじゃないわよそこの二人!!”びしっと僕達を指さして篠崎がいう。”って、ほとんど僕が一番乗りじゃないですか…。” ”ほとんどじゃなくて毎日にしてよね!” 変な理由付けに笑いが飛んだ。
”明日教授は研究所に来られますか?それとも田川教授が来るとかなんとか言っていたような…”三井が視線を上に考えている。
”今週なんだがな…僕は休みをもらったよ。” え?と僕達の目が丸くなる。教授は今まで遅れても、休暇を取ったことがなかった。そんな僕達の横で和風さんも同じような顔をしている。”おいおい…揃ってそんなに驚かなくても…” くすっと笑う教授。”いや、折角だからこの一週間、和風と足を延ばしてみようと思ってね。和風と妻のお墓参りにでも行こうと思うんだ。”
そうか…教授の笑顔を見て少しほっとした。
”あ!!!”
いきなり篠崎がバッグを地面において何やらごそごそと探し始めた。”三井これ!!” 差し出したのは一枚の葉書だった。”なんですかこれ?” 篠崎がニコッと笑って ”渡すのすっかり忘れてた。もう膨れてないから、いらないかな…”そっと葉書を自分の元に引き寄せると、”僕になんでしょ?下さいよ!”差し出した三井の手の中に葉書がぽんと置かれた。葉書を裏返すと ”クマだ…” ”ただの熊じゃないわよ失礼ね!元気をくれるクマよ!!” すると”あっ…私も!!” と和風さんが四角く折られた茶袋を取り出した。
”はい、これは柏先生。” ケーキを前に目を真ん丸にしているクマが描かれている。”丸ごとケーキ…あっ!!まだ持って行っていなかったな!!”はははと笑う。”これはお父さん!!” 後ろに腕を回して手を組んだクマが望遠鏡を覗いていて、夜空には大きな星が描かれている。”眼鏡がかかってないけど。”ふふっと笑うと、ありがとうと葉書を両手に持って眺める教授。
”そして、はい!白沢さん!”
僕の手に置かれた葉書には 空をぼんやりと眺めるクマが描かれていて、その後ろを吹く風に木の葉が一枚吹かれていた。
”これ…” 僕が顔をあげると
”やるせなさそうでしょ?”
そう言ってぷぷっと笑う彼女の手にはもう一枚、僕と同じ葉書が握られていた。
「またあしたな」「ありがとう」「気をつけて帰るんだぞ」「またあおうね」…沢山の言葉達が、それぞれの方向へと歩いてゆく僕らを見えない糸で結びつけた。
ふと後ろを振り返ると、そこには嬉しそうに教授と腕を組んで歩く和風さんの姿があった。頷いたり、笑ったり…僕はカメラを取り出した。徐々に遠ざかってゆく彼女と教授の優しい姿。
カシャ。そっとこの「瞬間」を…僕の中に取り込んだ。
小さくなってゆく二人の姿。ふと彼女だけがゆっくりと振り向いた。
えっ?
風に踊るスカートのように髪がなびくと、彼女の瞳が真っすぐに僕を見ていた。口元が動く。
ま……た……ね。
天使の様な微笑みを僕に贈り、
そして光の射す方へと消えていった。
彼女と僕がそれぞれの方向に歩き出した時間 : 午後2時27分
微笑ましく歩く教授と彼女
これが僕が最後に撮った旅行の写真で、
最後に撮った…彼女の姿だった。
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