『蝉廻り』‐021
「おたつ石コース」と書かれた標識をパチリと写真に収めた。”よーし、行くか!!”地面から生い茂る草の合間に敷き詰められた階段を僕ら4人はひとつづつ登ってゆく。緩やかな坂が遠くまで続くこの道は、身体がなまっている僕にも希望を与えてくれる。様々な虫たちの音があちこちで聞こえ、自然の中にいるという感覚が込みあげ とても心地よい。緑に包まれているのに どれ一つとして同じ色ではないのが不思議でしょうがない僕は、時たま立ち止まり葉を手に取ってみる。こうしてまじまじと緑を見るのは本当に久しぶりなのだ。レンズを取り換え葉っぱをカシャリと撮ってみると、葉脈が事細かに浮き彫りになる。自然の生み出す芸術だ。指で葉を撫でるととてつもなく柔らかい…動物たちが葉を集めて寝床に敷き詰める気持ちが何となく分かる。”白沢ー!!おいてゆくぞ!!” 柏先生の呼び声に慌てて階段の横の土手を踏みしめていった。少しすると階段がなくなり、ごろごろと石が転がり始めた。気を付けないとすぐに足をとられてしまう。しかしながら道は未だに緩やかで、まだまだ行ける!と教授たちの背中を真っすぐについていった。この季節 ネットで見た代表花は咲いていなかったが、沢山の野花がまだ咲いていた。僕を遮って蝶々が飛ぶと、そっと紫色の花にとまり、その羽根を開いたり閉じたりしながら細い手足で花弁をかき分けている。僕は目に留まる花々を写真に収めた…それは決して花々に瞬間を覚えたからではなかった。ただ、僕が歩むこの道を共有したいとそう思った…彼女と。カシャ…小さな蝶が羽根を広げて花を抱きしめた。
”ここを登ったら休憩しよう” 教授が目の前にある階段を指さしていうと ”そんなにきつくはないんですけど…階段多すぎじゃないですか?” 階段を見つめる三井が少し恨めしそうな顔で呟いた。”ははは、ここまでは階段だったが、この先のつつじが丘高原を抜けると、ハイキングらしくなってくるから” 僕らは最後の階段を登り切った。
つつじが丘高原は、その名の通り平坦なスペースにあった。ちょっとしたベンチに屋根がついた休憩所がある。バックパックを地面に放り投げ、芝生の上に寝っ転がった。”気持ちいいだろう” 柔らかな笑顔と共に教授が僕をのぞき込んだ。”はい。なんだか自然の中にいるって、思い切りそう思えます”。 ”でも、不思議ですよね…さっき見た神社での光景…周りには田んぼしかなかったのに、今は緑に囲まれて まさしく”山”って感じです。” 三井が隣に腰かけた。そうだよな…ここからじゃ田んぼの一つも見えやしなくって、山歩きだけに焦点があっているけれど、ドローンをここから飛ばしたら、広がる大地にそびえる山がポツンとあるだけなのにな。。。なんだか不思議な気持ちだ。サーモスを取り出し、水をくいっと飲むと喉の奥がひやっとして身体が目覚める。”僕、こうして寝っ転がって空を眺めるのが最高に好きなんだ。” 再びドスンと寝っ転がって地面の芝を両手でつかみながら空を見上げると長い雲が流れてゆく。”白沢さん、写真沢山撮ってましたね” 三井が雲を見上げながらそう言った。”あぁ、何だか可愛らしい花が沢山あって…和風さんと篠崎さんにも見せてあげたいなって思ってさ” おもむろにカメラを取り出して写真を見せると ”白沢さん…すごく写真上手いですね!!!”三井が驚いた様子で声をあげた。どれどれ…と教授たちもカメラを覗く。”いやーー!!白沢君こんな才能があったんだね!!こりゃすごい!!プロのカメラマン並みだな!!” 柏先生が腰に手を回し後ろに仰け反った。”高校時代から…写真が好きで、大学に入ってこいつを買ったんですが…本当に趣味程度なんです。” ”沢山撮って置いてくれよ!ちなみに俺は細目に写るアングルで撮ってもらえると有難い。”腹をポンと叩いた柏先生の笑いに続いて、僕達の笑い声がスペース一帯に響いていた。
つつじが丘高原を出ると、教授の言った通り少し風景が変わってきた。今までなかった木のトンネルの様な道に、ごつごつとした大きな岩が目に留まる。階段ではなく石畳の様に平たい大きな石が道を示している。そのうち石の導もなくなり、言葉通りに地を踏みしめる道へと変わる。囲まれる木々も笹の様な葉が大きな木に変わったり、葉が生い茂るものから幹をまっすぐに伸ばす木々に変わったり…木漏れ日が地面に模様を描く。木の幹にこびり付いた苔が「こっちですよ」と方角を教えてくれているようだった。近寄って苔を見てみると ミニチュアのもみの木の様な形をしている。
少し湿り気が出てきた道にそびえ立つ大きな木々の中で目を閉じておおきく深呼吸をすると、心身体までもが洗われる気がした。”森林浴とはこういうことを言うのかもしれないね” ぱっと目を開けると教授が隣で目を閉じながらおおきく息を吸い込んでいた。”はい。なんだか心まで洗われます。”この空気を和風にも吸わせてあげたいところなんだが、私が沢山いただくことにしよう。”そう言って教授はもう一呼吸ふかく息を吸い込んだ。”昔…妻とここに来たことは言ったね。もうずっと昔の話なんだが…” 教授がゆっくりと目を開き高い木々を見上げる。”その時に 妻が…ここで白沢君と同じように立ち止まって 深く深呼吸をしていたんだ…。…白沢君を見て、妻の姿がハッキリと蘇ったよ…” 視線を下ろし、笑って ”ありがとう” 教授は僕に微笑んだ。
教授の奥さんが若くして亡くなっているのは知っていた。僕が教授に出会ったのは、奥さんがなくなってからもう何年も経ってからだった。どんな人だったのだろう…和風さんの笑顔がふと浮かび、彼女が隣で深呼吸をする姿を思い浮かべた。きっと綺麗な人だったんだろうな。”ほら、置いていかれるぞ” 教授の声にハッとして、僕は足を踏み出した。
柏先生と三井は少し小さめに見えるくらいに先を行っている。途中大きな岩が二本の小さい木々に転がるのを食い止められるような形で挟まれていた。どう見てもこの岩が道を防ぎたくてしょうがなくミシミシと木を押している様にしか見えないのだが、それでも小さな二本の木は、その大岩を行かせまいと懸命に斜面で根っこを食いしばっていた。自然の力がそこに形となっていた。と岩陰から突如ぶんと何かが飛んできた。おぉ!!思わず頭を抱えてしゃがみ込むと、飛び去った方向からミーンミンミンと音が聞こえてきた。ふふふと聞こえる笑い声。教授を見ると ”蝉…だな” ”蝉…でした…か”。”もう夏も終わりだというのに…焦って縁結びのお参りにでも来たのだろうか…” 教授のその発想と呟き方がおかしくて、今度は僕が吹き出してしまった。”可笑しかったかい?” ”すいません、いや、少し教授の発想が可愛くて…” 二人してまた歩き出す。一週間前に見たあの蝉も ここまで飛んでこれたのならば…そう考えていると教授もまた差し出される足を一歩一歩見つめながら 何かを思っているようだった。
”長い年月を土壌で過ごし、空を飛び回れる時間はほんの僅か…か…。”
蝉を…思っていたのだろうか。僕の方に振り返り、少し寂し気な笑いを乗せながら 儚いな…と呟いた。
なんだろう…なにかこう 僕の気持ちもちゃんと伝えなければと そんな思いがした。
”僕も…今まではそう、思っていたんです。儚いなって…でも、この間生まれたばかりの蝉を見て思ったんです。こいつは…強いって。羽ばたける時間はほんの少しかもしれないけれど、多分こいつは命ある限り、精一杯その時間を飛び回るんだろうなって。ほんの数週間っていう時間の中で、運命の相手を見つけてそしてまた繋いでゆけるから こうして毎年蝉の鳴き声がする。本当に強いんだって…僕なんかよりも ずっと。”
ミーン ミンミンミンミ。…
遠くでまた蝉が鳴いた。
”白沢…君”
振り返ると、教授が立ち止まって。深々と頭を下げていた。
”あり…がとう…。”
気のせいだったかもしれない…頭を下げた教授の足元に雫が落ちた そんな気がした。
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