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タイの農村学校でボランティアしています

 今タイ北部にあるpublic private schoolでボランティアをしています。
 タイの義務教育は大きくpublic government (公立学校)、public private schoolとprivate school(私立学校)の三つに分けられますが、今回ボランティアした学校は公立の中でも低所得家庭の子供向けに、政府と民間寄付から資金を得て教育サービスを提供するpublic private schoolの一つです。
 ボランティアたちは子供にどんな支援を提供しているかというと、英語や中国語をメインとした言語教育です。
 ボランティアをしていて、思いました。

スキルよりも情熱

 同時期に一緒にボランティアをしているのは中国、フランス、ブラジル、インド、オーストラリア、イギリス、韓国など様々な地域で、ギャップイヤーを取っている20代の学生や、現役教師、世界旅行をしている30代カップル、リタイアした60代など様々なバックグランドを持つ方々です。
 教えるのは英語ですが、もちろん必ず母国語が英語の人だけが応募できる訳ではないです。英語は得意ではないが、子供に何かしらの力を提供したいと思って、一所懸命に英語を喋ろうとしている方を見ていて感心しました。
 私が「ボランティアしたい!」と思ったのは大学生の頃でした。当時大学の中にはボランティア活動をするサークルがあって、山奥の小学生に教えるプロジェクトに応募してみました。しかし、面接では「歌も、絵を描くのも、ダンスも得意ではない」と答えたらまさか落とされたという苦い経験がありました。勉強以外に得意なことはない、得意なことはないとボランティアできないということにショックを感じて落ち込んでたい記憶は今でも鮮明に覚えています。
 特殊な才能やスキルがないとボランティアできないとずっと思っていましたが、そうではないようです。人の役に立ちたい、誰かの力になりたい、また変わるきっかけを与えたいという思いがあれば、その思いを伝える、様々な形でボランティアは成立すると今回のボランティアで感じました。

結果から逆算しない

 ずっとやりたかったボランティア、会社勤めをしている間はなかなか動きにくかったのですが、今「フリーランス」でいるおかげで実現できました。
 ようやく実現できたことなので、出発する前は期待せずにはいられなかったです。子供たちの変化を楽しみにしていましたし、自分もこれをきっかけに変わっていくんだろうと期待していました。その結果に向けて短い期間でもガムシャラに仕事する様子を妄想していました。
 けど、実際は違いました。
 ここでは、ドラマチックな熱血ストーリーはないし、長い期間続けてやってきたプロジェクトなので子供たちは外国から来た人達に慣れているし、外国語も想像していたより上手に喋れる状態でした。授業をしている間の時間は激動するものではなく、ごくごく自然にいつもとほとんど変わらなく流れている時間でした。確かに私のような一時的に滞在する短期ボランティアにとっては物足りなささえ感じるかもしれないですが、プロジェクトのオーガナイザーなど長期に活動してきた方々にとってこれこそボランティアというものでしょうーー煩雑でイレギュラーの連続で自然な時間、日常生活と同じく。
 何かの目的や意義を求めて動き始めるのもいいですが、必ず何事も目的、結果のあるものになる訳ではないですよね。逆算して時間を動かすよりも、時間に真正面からぶつかってそこに身を任せて存分に感じ取る方が、逆に得られるものが多いと感じました。有意義かどうかは自分の感じ方次第で、意義は過程を通して自分が行う意義づけによって定義されるものです。
 
思い出を作ることもそうですが、思い出を作るために出かける旅行よりも、家族や友人、時には知らない人とでも、ともに出かける時間を一所懸命に楽しんだ方がきっと本当の思い出になるのでしょう(思い出は自然に残るもの、作るものではないとずっと思っている)。
 あるいは、周りの人に評価されるかもしれないという結果を想定して起こす何かの行動も、結果を逆算してやっていることで、想定した結果を得られていないときのダメージが大きいはずです。そして、周りに評価されそうなものは見栄が良いものですが、時にはその段階にいる自分に合うものでもなく本心からやりたいことでもないことかもしれません。
 周りの評価よりも、自分の心の声によく耳を傾ける、最初から何かの結果を求めるよりも、過程の時間を大切にする、とそうしたいと思うタイでのボランティアの日々でした。
 
H P:
https://nana-zai-jp.com/

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