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私の気持ちはわかるのか?

 人間同士は本当に理解し合えるか?最近よく考える題です。
 生活環境や立場、社会で「演じる」役が変わる度に、「こんなにも違うんだ!」と今までの自分の経験では非常に想像しにくいことが実際に起きるとそう思ってしまいます。
 経験していないことに共感を覚えたり、気持ちを受け止めたりするのはすごく難しいことですよね。学生は社会人の気持ちを、独身の人は結婚している人の気持ち、子供を持たない人は子育てする人の苦労や喜びを、健常者が体の不自由な方の生活を、若者は年配の先輩の気持ちを、想像しにくいでしょう。こんなにも生活リズム、キャリアに対する考え方、生活の優先順位が違う人々はどうやってお互いの気持ちを理解できるのでしょうか。
 先日、ある研修で様々な年代やバックグランドの方と議論する場面がありました。ケーススタディーで就職先が決まらない大学生の事例が挙げられ、「では、この方はどんな気持ちを抱いているのでしょうか」との質問に、参加者の年配の男性がケースで書かれた事実を一気に述べられ、「以上です」と回答を締めました。
「では、本人の気持ちは?」
「ん…気持ち?ん…どうですかね…」と男性が答えました。
 なるほど、そもそも他人の気持ちに共感する、できるのは当たり前のことではないようだなと、初めて気づきました。
 
企業勤めすると、周りの人の感情に共感するよりも、「事実」、「論理」、「ロジカル」、「冷静」、「感情のコントロール」が求められて、それが会社システムの中での評価する、評価される行為によって強化されています。特に、後者の場合、いわゆる「男性的」資質と捉えられがちというのも言うまでもないです。気持ち、感情を通り抜けて無視することが真実を見つける必要不可欠条件のようになっています。
 でも、無視することはいいのか、無視しないことが是としたらどうしたら他人のそれとちゃんと向き合えるのでしょうか。
 気持ちを無視すれば、感情の摩擦が減り、機械的に物事を処理できて効率的になるかもしれません。でも、人間はAIではないですよね。相手の感情に触れて、受け止め、時にはそれで心を痛め、悔しく思ったり、時にはそれに癒されホッとして、暖かくなったり、また時にはこの人たちと一緒にいて幸せだな、彼女ら・彼らを幸せにしたいなと思ったりする瞬間こそが人間に戻る時だと思います。
 仕事をしていても、人間は人間です。仕事だから感情的になるなと言うのは逆に現実に目を逸らしているように見えます。
 では、冒頭の問い「人間同士は本当に理解し合えるのか」を考えます。
 経験しないと、相手の気持ちの何%を想像できるのでしょうか。
 『コンビニ人間』の作者である村田沙耶香さんの講談会に参加した時のお話しを思い出しました。
 村田さんは子供の時から母親にいわゆる「賢妻良母」的に女性像を示され、女性としてのあるべき生き方は母親世代と同じになることを信じ込んで、疑うこともなかったとのことです。しかし、山田詠美さんの本に出会い、それまで想像もできなかったような人生を本の中で覗くことができて、自分が真理と思ったことがひっくり返されたような感覚を覚えたと語りました。
 そうだ、実際に経験できなくても、本の描写を通してそれを擬似的に経験し、想像することはできますね。

人間が賢くなる方法は「人」「本」「旅」に尽きる。 

立命館アジア太平洋大学(APU)学長 出口治明氏

 この言葉もありました。私は、相手の気持ちを理解するのは「人」「本」「旅」を通じてと思います。同じ経験を持つことができれば、自然にある程度同じ感情を感じられると思いますが、性別や年齢のようなほぼ変えられない条件のもとでは、同じ経験するのは極めて難しいものの、「人」「本」「旅」を借りて理解する努力することはできるのではないかと思います。
 理解し合えるパーセンテージは100%でなくても、近づくための努力を惜しまないこと。


 

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