異国にひとは母国の風景を重ね合わせる

『北京の日曜日』(1955年)/パリと北京、記憶の中で交差する都市

マルケルは夢だった中国行きを、1955年、中国友好使節団旅行への参加で実現。その際に撮影した映像をもとに、ある日曜日のスケッチとして革命後の北京の人々や風景を鮮やかに描いた初期短編。本作ではマルケルは撮影も自分で担っている。

異国を見つめるとき、自国の風景を重ね合わせたことはないだろうか。観光中にたまたま立ち寄ったレストランで食べた料理でなつかしい味に出会ったとき、ホテルに戻る帰り道に夕暮れ時の小川を見たとき。クリス・マルケルもまた、パリと「30年間夢に見てきた北京」を重ねている。

『北京の日曜日』はクリス・マルケルが中国へ有効使節団旅行に参加した際に撮られた作品である。軽快なワルツに、赤や青が鮮やかな中国のお土産とエッフェル塔。それから、鉄棒に跳び箱、太極拳、女の子たちのダンスが北京の街を移動しながら映し出される。ときには歴史的な建物から、神話の世界にも入り込む。政治の話題が織り交ぜられてはいるが、映像は短時間で軽やかだ。

1995年の北京への入り口は、パリの街に並べられた宝物の中の一つである挿絵の入った本。ここから北京の街へタイムスリップする。20分間にまとめられた北京観光では、ナレーションと音楽によって、パリと北京の重ね合わせが浮かび上がる。

思い出の回顧からはじまるこのドキュメンタリーでは、途切れることなくナレーションが伴う。冒頭では、「思い出のパリは最も美しく 思い出の北京は最も美しい」と記憶の中のパリと北京について、同じ表現で語っている。また。終盤では「全ては中国のように遠く ブローニュの森のように親しい」「死んだ栄華の中で モンゴルのヴェルサイユで 過去と未来について思いは巡る」とフランスと中国やモンゴルが重ね合わせられている

一方、音楽もナレーションに呼応するように流れる。ときには賑やかにリズムを刻む音楽で、ときには美しく情緒あふれる音楽で。北京の街に華を添えられた音楽には、どれも中国を連想させるリズムや効果音が用いられている。だが鮮やかな街の記録の終盤、”ヨリス・イヴェンス”と名付けられたクマが登場するところから、音楽は西欧のメロディーを奏でる。それまでの民族的な音楽と打って変わって、弦楽器の音色が優雅に響く。この曲がはじまったところで、子供たちが合わせて踊る「北京の協奏曲」が言及される。クリス・マルケルは北京の記憶の最も美しい場面に西欧の音楽を重ね合わせているのではないか。

あたらしいものを目にしたとき、否応なしに重ねられる個人の記憶は、映像を単なる記録媒体ではなく、文化と文化の重ね合わせが表現された作品となる。『北京の日曜日』はパリと北京という二つの都市を味わえる豊かなドキュメンタリーだ。


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