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ビジネスクラスの蟻地獄

仕事で飛行機に乗ることはよくあるが、
ビジネスクラスに乗せてもらうことはなかなか無い。
ところが私は23歳のとき、海外ロケで人生初のビジネスクラスに
乗せてもらった。理由は『タレントさんだから』という太っ腹なもの。
あぁ、神さまありがとう!
私は特別待遇に感謝をし、機内へと乗り込んだ。 

 
「機内食、楽しみ〜!」
ワクワクしながら窓側の席に腰をおろすと、さすがはビジネスクラス。
シートがゆったりしているではないですか。
贅沢気分を満喫していると、
「お。ワシ、奈々ちゃんの隣やなぁ。」。
声の主は、番組の古株プロデューサー。
定年退職後、嘱託として番組に携わっているエライ人である。
仮に名前を今井さんとしよう。
ちなみに『今井』さんとは、私が小学校の時に好きだった男の子の名前だ。今井悟くん。野球がうまくて、足が速くて、カッコイイ男の子だった。

話を戻そう。番組の今井さんは、ちょっと困ったジイさんだった。
ロケのたびに顔を出しては、無邪気に面白くないことを言う。
さらにオナラをすれば人が笑うと思うのか、わざとタレントの前で
オナラをする。本人は笑わせようとしているのだが、
どこで笑えば良いのか全員がわからない、困った人である。
そんな今井さんが、私の隣に座ってしまった。
私は『夢のビジネスクラス』が急に不安になった。


「顔のホクロ多いな。線で結んだろか。」
いきなりのパンチである。
さぁ、私はどこで笑うのだ?
「牛のオッパイ、食べたことあるか?オッパイ!」
「ワシの書いた日記や。しゃあないな、特別に読ませたろ。」


アリ地獄ならぬ今井地獄に落ちてしまった私は、
このまま死を迎えるしか無いのだろうか?
もがき苦しんでいると、ようやく機内食が運ばれてきた。
私のテンションも上がる。


あぁ。やはり、さすがはビジネスクラス。
料理が全てお皿に乗って、コースで出てくるではあ〜りませんか。
まずはサラダ。私は幸せな気持ちで、野菜を口に運んだ。


「この野菜、何か知ってるか?」
「うーん。わからないです。でも、美味しいですね!」
「やっぱり知らんか。ルッコラや、ルッコラ。これがわかったら一人前になれるで。ほな、これ知ってるか?これはな・・・。」


ありがとう今井さん。とっても勉強になりました。だから、お願い。
黙って食べてくれーっ!全然、味わえないではないか!
人生初のビジネスクラスの機内食、私は楽しく味わって食べたいのだ!
『黙れ〜!』私はここ一番の念力を送った。


「ツバの出るツボ教えたろか。」
念力も虚しく、さらに調子を上げてくる。
今井地獄に『休憩』という文字はないのか?
絶え間なく襲いかかる今井節に意識が朦朧としてきたとき、
いきなり今井さんが声をあげた。


『奈々ちゃん!クジラや!』
興奮した様子で窓の外を指さしている。
『えぇっっっ!! クジラ!?!』
一気に目が覚めた。
今井さん!すごい!

私は目を輝かせながら振り返り、まるで子供のように顏を窓に当てた。
そして『ザブ~ン!』と潮を吹いてジャンプするクジラの姿を探した。


・・・いない。
いないではないか。。。
クジラは、どこにもいないではないか!
広い大海原。どこを探してもクジラの姿は無い。

戸惑っていると、隣から「うっそ~ん♪」と、舌を出しておどけて見せる
今井がいた。
このクソジジィ!


私は本気でアタマに来た!
そもそも飛行機からクジラなど見えるハズないのだ。
簡単に引っかかる自分にも腹が立った。


もう許さん!何とか言い返してやりたい。
ふと見ると、今井さんのお皿は半分以上の料理が残ったままだった。
これだ!私はすかさず言ってやった。


『今井さん。お料理残しちゃダメですよ〜。』
おぉ六車奈々よ、何とも貧相な言い返し。これでは子供のケンカである。
もっと気の利いたことを言えないのか?
しかし23歳の私には、これが思いつく精一杯の仕返しだった。
ふふん。どうだ、まいったか!
喋ってばかりいるから、食事が進まないのだ。


・・・あれ?言い返してこない。
すると、今井さんは急にテンションを下げて、口を開いた。


「わしなぁ。胃を半分取ったからな、あんまり食われへんねん。」


あ・・・。


「すみません!私、まさかそんなこととは知らずにごめんなさい!
どうぞ残してください!」
私はひたすら謝った。謝るしかなかった。


それからの私は、一言も言い返すことなく、饒舌な今井地獄に
飲み込まれていったことは、想像に容易いだろう。


あぁ、日本全国の番組制作スタッフの皆様。
タレントの飛行機を予約するときは、どうぞ席をバラしてあげてください!


というわけで、散々だった今井さんとのビジネスクラスの旅。
今となっては、懐かしい思い出である。


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