表裏一体
「うちの奥さんは、本当に大雑把で困る。」
私の友人男性、仮に名前をリョウにしよう、はいつものように愚痴をこぼした。
「部屋は汚いし、洗面台はいつも毛詰まり。仏壇のお供えにはカビが生えているし、冷蔵庫の中はタッパーにいつのかわからないおかずが入ってる。これで専業主婦だよ。どう思う?」
うん。話を聞くと、確かに大雑把な奥さんである。
私も掃除好きではないが、汚い方がもっとイヤだ。だから部屋はいつも片付いている状態にしたいし、綺麗にしたい。
しかしリョウの奥さんは、逆なのだ。多少部屋が汚くても、全く気にならないのである。風呂場に少しくらいカビが生えていようが、時々うっかり御供物を腐らせようが、大したことではないのだ。
ある日、洗面台に詰まった髪の毛を見ながら、リョウは考えた。
『妻は、この洗面台の髪の毛が気にならないのだろうか?よし、一度放っておいてみよう。妻はいつ、この髪の毛が気になって掃除をするだろうか。』
リョウは勝手に、奥さんと根比べを始めた。
1日が経ち、2日が経ち、3日が過ぎた。洗面台の髪の毛は日に日に増え、4日目頃からは、蛇口をひねると髪の毛が詰まって水が溢れるほどになっていた。
きっと奥さんだって、この状態は気付いているに違いない。
しかしだ。この状態でも、髪の毛を取り除く気配が無い。
『なぜだ?手を洗っても、歯磨きをしても、こんなに水が溢れているんだぞ。気にならないのか?』
一週間後、耐えられなくなり、髪の毛を取り除いて掃除をしたのはリョウだった。リョウは、勝手に根比べをして、勝手に負けたのだ。
リョウよ。
そうとあらば、これはもう仕方がないぞ。
なぜならリョウにとっては耐えがたいほどの毛詰まりでも、奥さんにとっては何も気にならないのだ。気にならなけりゃ、そりゃ掃除だってしないだろう。
一方、別の友人男性、仮に名前をアキラとしよう、の奥さんは、とてもキッチリしている。
アキラが家に帰ると、綺麗に片付けられた部屋があり、キチンとたたまれた洗濯物に、カビひとつ生えていない風呂場が気持ちよく迎えてくれる。
そんな奥さんだが、アキラには不満がある。
『うちの奥さんは、キッチリし過ぎる。仕事から帰ってきて一番に子供を抱っこしようと思えば、「汚いから手を洗ってきて!」と人をバイキン扱いだ。領収書一つとっても、いちいちチェックが厳しくて気が抜けない。』
キッチリして綺麗好きな奥さんを持てば、それはそれで不満が生まれるのだ。
私はこれを、薬の作用と副作用に似ているなぁと思う。
たとえば細菌に感染して抗生物質を飲んだとしよう。
抗生物質は望み通り、細菌を殺してくれる。
これが薬の作用だ。
しかし一方で、抗生物質はこちらが望んでいない腸内の善玉菌まで殺してしまう。
これが薬の副作用だ。
抗生物質にしてみると、『細菌を殺す』という性質があるだけなのに、
人間にとって都合に良い働きは『作用』と言われ、都合の悪い働きは『副作用』と言われる。
リョウの奥さんでいうならば、『大雑把』という性質があり、『掃除をしなくて家が汚い』というのは、リョウにとっての副作用だ。だが、一方で『大雑把ゆえに、女の子と食事したレストランの領収書をうっかりテーブルの上に置いてしまっても、全く気付かない』という、都合の良い作用もあるのだ。
つまり大雑把だからこそ、掃除もしないし領収書にも気づかないのであり、奥さんはずっと一貫している。だから『掃除はして欲しいけど領収書には気づかないで欲しい』というのは、有り得ないのだ。
アキラの奥さんだって同じだ。『キチンとしている』という性質があり、
『部屋はいつも綺麗に片付いている』という、アキラにとって都合の良い作用がある。しかしその一方で、『スーツのホコリを取ろうとした奥さんが、内側ポケットからうっかり捨て忘れた飛行機のチケットを見つけ出し、浮気がバレる。』という副作用があるのだ。
つまり奥さんのキチンとしている性質は一貫しており、だからこそ部屋も綺麗にするし、上着の内ポケットにも気付くのだ。これを、『部屋は綺麗にして欲しいけど、スーツの内側ポケットまで綺麗にしてくれなくていい!』と怒るのは、おかしいのだ。
要するに、表裏一体。
自分にとって都合の良い面ばかり持ち合わせた人間などいないということである。
腹が立ったとき、一度立ち止まって考えてみよう。
その人のイヤな面は、好きな面と背中合わせにないかい?
ほぉら。
少し、結婚生活が続けやすくなっただろう?(笑)