見出し画像

山よりも、海よりも

深夜0時をまわった。マナミは、緊張と興奮から眠れずにいた。
明日は三年間通った看護学校の卒業式である。


マナミは私の2歳下の妹。これまで色々な仕事をしてきたが、
34歳の時、思い立って看護師を目指すことになった。
将来のことを考えると、手に職をつけなきゃと思ったらしい。


看護学校へは無事に入学できたが、あくまでスタート地点。
目標は国家試験に合格し、白衣の天使になることである。
さあ勝負はここからだ!


看護学校の同級生は18歳。まず肌と脳ミソの若さは完敗である。
「私はみんなの何倍も頑張らなくては!」
若さ溢れる教室の中、三十路越えのマナミは誰よりも勉強を頑張った。
深夜遅くまで教科書を見つめ、レポートをまとめ、パソコンの前で
猛勉強した。夢を成し遂げるために血の滲むような努力をしたのは、
人生ではじめての経験であった。


「マナミさぁ、もっと遊ばなあかんで。」
18歳の小娘たちは、むしろ自分の母親と歳が近いマナミに声をかけた。
マナミはコンパのお誘いを受けることはなかったが、たまに誘われる
食事や飲み会にもほぼ参加することなく、ひたすら勉強に打ち込んだ。


入学して初めての学内テストは、年齢と同じ学年トップだった。
「やったーっ!」
マナミは、人生ではじめて努力が報われるということを経験した。
一度トップを取ると、落とせないと思うのが人間である。
マナミは更に努力を重ねた。そして在学3年間、
マナミの成績は年齢と同じトップを走り続けたのだ。
さらに国家試験も合格。これで胸を張って卒業式を迎えられる。


深夜0時をまわった。マナミは、緊張と興奮から眠れずにいた。
明日は三年間通った看護学校の卒業式である。
そして彼女の人生史上、最も輝かしい卒業式。
なぜならマナミは卒業生代表として、答辞を読むことが
決まっていたからだ。


三年間の思いを込めて、一生懸命書いた答辞。
本番で上手に読めるだろうか。
急に不安になったマナミは、深夜0時過ぎ、家族に集合命令をかけた。


なんだなんだ?
リビングに集まる六車家一同。
マナミによると、今からこのリビングは卒業式の会場に、
そして私たちはお客さんの役を与えられるということだ。


マナミはリビングから出て扉を閉めた。瞳を閉じて大きな深呼吸。
さあ!本番!
マナミは自ら扉を開け、喜びと誇らしさで鼻を思い切り膨らませて
登場した。そして深々とお辞儀をしている。


あれれ。これはもしかして拍手を求めていらっしゃるのか?
小学生の答辞の練習じゃあるまいし、そんなわけは、、、
「パチパチパチパチパチパチパチ!!!」
隣から大きな拍手が聞こえた。見ると両親は正座をし、愛娘のリハーサルに
目を細めながら惜しみない拍手を送っていた。深夜0時半である。
私は驚いた。
夜中やぞ。37歳やぞ。


両親の拍手にマナミは満足した様子で微笑むと、ビッシリと書かれた
答辞を取り上げ、読み始めた。
「寒さの厳しかった冬も終わり、、、」
心を込めて読むマナミ。タレントもやっていただけに、
アマチュアの域を越えた上手さである。
もう十分上手ですよ。こんな夜中に家族集めて練習しなくても
良いと思いますよ。
しかし両親は足を崩すことなく正座のまま、時折大きく頷きながら、
キラキラ輝く愛娘を見つめている。


いやいや、おかしいやん。この光景。
深夜0時半に、37歳の娘の答辞の練習を64歳の両親が聴き入り、
惜しみない拍手を送っている。
これ、おかしない?


長い答辞を読み終えたマナミは満ち足りた様子で遠くを見つめ、
深々とお辞儀をした。そして両親は、目頭を熱くしながら
拍手喝采を送っていた。


いやはや、親というのは、なんとありがたいものか。
これまで以上に親孝行をしようと思った一夜であった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?