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昔話のお隣さん

 イチローさんも警鐘を鳴らす、という見出しで「大人に叱ってもらえない」Z世代を描いた記事があった。ハラスメントなどで周りの目が「厳しい指導」に対して厳しくなってしまったという話だった。一方で、この記事の関連に大谷翔平さんや藤井聡太さんのお母さんが否定的な言葉を使わない、という記事もあった。子育て中の読者がそこから得るものはなんだろう、と考えた。

 教育業界に20年近く携わる中で、私は1000人以上の子どもたちと関わってきた。その中には幼い頃から思春期まで長く携わる子もいる。嫌でも人の育ち方を見ることになるのだ。でもだからといって私が子育ての成功例、失敗例を知っているかというと、そこはなんとも言えない。なんとも言いたくないというのが本音だ。

方法だけ教えてください

 学校の先生や子育て中の方に「方法を教えて欲しい」と言われることが本当に多い。かつては私が知っている方法を伝えたことがある。その時に「時間がないのでそれは無理」と言われたり、「それをやってみたけど、うまくいきませんでした。次は何をしたら良いですか」と言われたりしてハッと気付いた。
 方法じゃない。その人自身の向き合い方、マインドが大事なんだ、と。

 それ以来方法だけを簡単に人に伝えるのは止めた。セミナー形式で人に何かを伝えるよりも、一緒に考えるワークショップ形式を好む様になった。今でも私が何かをする時はワークショップ形式。一緒にじっくり考えたりアイデアを出すことを大切にしている。

 いくら方法が素晴らしくても教材が良くても、それを使う人が子どもと自分の関係の中で何を共有したいのかをわかっていないと、使えない。更には対象にしている子をしっかり見ていないと伝わらないのだ。誰かにとって正しかった方法が、必ずしも目の前のその子に当てはまるとは限らない。
 ダイエットが良い例だろう。星の数ほどある方法の中で何が自分にピッタリくるのか、何が自分にとって効果的なのか、なかなか見つからない。性格や健康状態、働き方や生活スタイルは人それぞれなのだから。それが絶妙に絡み合う中で、自分にピッタリ効果的な方法を探すこと自体一苦労なのだ。

 方法だけ知りたいといって情報を収集し、うまくいかなかったと言う人の話を聞くたびに私は昔話のお隣さんを思い出している。

インスタントは無理

 情報が多くなった。スピードが早くなった。動画の長さはどんどん短くなっていく。子ども向けの学習動画を作ろうとすると「最近は2分以内でないと、飽きて見ませんよ」と言われる。大人だって、そう。
 時間をかけること自体が悪いこと、みたいになっているのがよくわかる。教室でじっくり考える子に「はーやーくー」と急かす子の我慢できる時間が短くなった。教育関係で働く友人が、学校でのスピード感について話してくれた。最近では子どもに穴あけパンチなどの道具を使わせないことが増えたらしい。学校では分刻みのスケジュールで動いていることが多く、時間がもったいないそうだ。
 家庭によってそれぞれだろうが、家庭でもスピード感を求められることがあるのかも知れない。DVDは早送りできるし、動画も自分の好きな速さに出来る。お店や電車の待ち時間はスマホを見ていれば飽きずに済むし、なんなら待たずに済むネットのシステムだってある。昔に比べて今は待ったり、待たれたりする機会が少ないのだと思う。

 待つ経験の少ない子どもたちは待つこと自体にイライラするし、待たれることのない子どもたちは、なんとかしてスピーディーにものを済ませようとする。その間に「考える」ことが少しずつ落ちていくのを、今教育現場で感じている。
 おうちの方の先走り感も感じる。我が子が周りの子と同じスピードで同じことをできる様になって欲しいと強く願う親心は、情報量の多さで更に加速している気がする。

 少しでも速く、少しでも効率よく、と親も先生も急いでいる気がする。

結局は大人のマインド

 子どもの焦りや諦めは、結局その先走る大人の期待と繋がっている気がする。諦める子は「ごめんなさい、期待に添えません」と言う様に「ぼくは頭悪いから」とか「頭よくなりたい」という言葉に乗せて諦めを表す。

 厳しく叱るのが良い、否定せずに受け止めてあげることが大事、褒めるのが大切、褒めるとダメになる…等々ネットには次から次へと方法が示される。その度にみんなグラグラと自分を揺さぶられて、「早く効率的な方法を教えて!」となる。

 でも一番大事なのはそうやって揺さぶられながらも、情報や方法、人や人の子を見るのではなく、目の前の子にどうしたら伝わるのか。そしてその子に一番伝えたいのは何か、それをまずはじっくりゆっくり自分に問い直すことなのだ。

 それが正解か間違いかがわかるのは、その子と自分のコミュニケーションの中。明らかに苦しそうでその子に合っていないと思えば、違う方法をまた探してみる。その繰り返し。一人で抱え込むと苦しいから、誰か伴走者を得たり実際その子と話してみたりするのが良い。人の情報に振り回されたり、手っ取り早い方法ばかりを見つける前に、自分が対象にしている子の表情や表現をよく見て、感じて、話し合って。そして一緒に方法を見つければ良いのだ。その過程こそ、正解だと思う。

 昔話のお隣さんの教訓はとってもシンプルだけど、今多くの人がはまり込んでいる状況も結局同じことの様に見える。過程や努力をすっ飛ばして効率よく結果だけ得ようと思っても、うまくいくわけがないのだ。


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