見出し画像

時代と反対に舵を切る

最初の選択 〜ないものは作る〜

 我が子が小学生になって一念発起。この子達のための教室を作ろう、と英語教室を立ち上げたのは2009年の春。自分が英語を話せて楽しいから、英語教室に通わせて英語を身近に感じてもらおうと思ったけれど、我が子を任せたい教室を見つけることが出来なかったのがきっかけ。無いなら作ってみても良いのかも。自分が良いと思うテキストを吟味して、こうすればきっと楽しいと思うものを総動員。とにかく自分がそうであった様に、「英語って楽しい」というイメージだけで英語はずっと自分のそばにいてくれる。そう信じてのスタート。生徒は我が子3人と姪っ子2人。5人クラスからのスタートだった。

 正直、始めた時には「これを生業に」とは思っていなかった。我が子や姪っ子たちとの英語レッスンは、とりあえず一緒に遊ぶ楽しい時間だった。やがて学校のPTAで自分の仕事を「英語の先生」と明かしたことから英語の相談を受ける様になり、生徒が少しずつ増えてきた。とは言え、最初の発表会は親戚と友人の子の計6人。近くの公民館の部屋を借りて、歌ったり踊ったり劇をしたりした。観客は妹(姪たちの母親)と同じく一人の生徒の母である友人、そしてその辺で遊んでいた子どもたちが覗きに来たので、その4-5名。小規模中の小規模な発表会だったが、この初回の発表会を私はその後何度も思い出すことになる。この規模ながら、子どもたちにとっても私にとっても初めての発表会。それぞれ緊張しながらも頑張った。ほのぼのとした、本当に良い時間だった。

 それから少しずつ人が増えて、気がついたら自宅教室では難しいのかも知れない、という規模になっていた。

第二の選択 〜これを生業にしてみようか〜

 英語の先生として自分も成長しなければいけない、と思い民間の英語の先生が集まる研修やイベントに顔を出す様になった。近くにある英語教室の先生に声をかけて会ってみたりして、同業者の方々と繋がっていくことに。

 英語の先生たちは前向きで明るく、情報をたくさん持っている。自分を磨くこと、教室を成長させることにも前向きで、目の前のことばかりに一生懸命だった私には眩しい程だった。
 よし、教室を大きくしていこう。そう決めてテナントを借りたのは、2017年。リスク回避のために家の近くで出来るだけ安価な場所を見つけて借りた。そしてもし赤字が続く様ならばすぐに畳むつもりで飛び込んだ。英語教室なんて星の数ある。この場所で私の教室みたいな教室にニーズがあるかどうかなんて、やってみないとわからない。

 大通り沿いに面した場所で、二つの小学校の通学路になっている上、生徒さんたちからのクチコミの影響もあり、私の心配をよそに教室には少しずつ問い合わせが増えた。教室を構えたからには、と私は意気込んで募集活動を盛んに行った。

第3の選択 〜時代に逆行していくことにした〜

 教室拡大に向けて動き出した私は、週に数回近隣の小学校の英語活動を担当する仕事も受けて、精力的に働いた。そこで目にしたのは、三十数人を束ねるためのいろいろな先生のいろいろな方法。「姿勢は正しくしないと、学習が入っていかない」「生徒になめられたら終わり」みたいな言葉を聞いている間に、未熟だった私の中の教育観が揺らいだ。保護者からお金をいただいて運営している以上、私も「きちんと学習」出来る形を作らないと。
 学校の先生がする様に、厳しく指導したり見様見真似で問い詰めたりしてみたこともある。今考えると申し訳ないばかりだけれど、当然子どもたちとのコミュニケーションが難しくなってきた。私らしくなかったのだと思う。それを肌で感じられたのはせめてもの救いだった。子どもたちがそれぞれ私に「聞いて聞いて〜」と話していたり、立ち歩いたりしている私の教室は、実は子どもたちにとっての特別な場所になっていると気付いたのは、それからまたしばらく経ってから。

 学校の様な指導をし始めた私の教室には、次第に私の理解を超えて意思疎通が難しい保護者も子どもを連れてやってくる様になった。「子どもを預けても良いですか」「うるさい子がいる環境は嫌です」と、まるで過度なサービス業。私がしたかったのは、こんな場作りじゃない。
 そこで私の教育人生最大の第3の選択。それは「成果を出さない教室作り」。もちろん敢えて成果を出さないのではなく、厳密に言うと「成果を出すことを目標に掲げない」教室。その時主流の教育とは全く一線を画した教室運営に舵を切ることを決めた。
 言葉に出来ていなかったにせよ、我が子のための教室がないから自分で作ろうと思った時、私は温かい居場所を作りたいと思っていたのだと思う。それが教室拡大の野望を持つと同時に「成果を出して認めてもらわなくちゃ」という思いも同居し出す。私の軸がブレていたのだと思う。
 ここは、基本に立ち帰り自分の軸を立て直そう。そう決めて、今度こそニーズがなくなったら教室を畳む意気込みで「当教室は成果を出さない教室です」「目指すのは『英語を嫌いにならないこと』」それを掲げて募集活動を行った。もちろん「英検○人合格」や「○○高校○名合格」なんてものは一切公表しない。それ自体が「成果を出しています」の象徴だから。
 そうして徹底的に方向転換をしたのは、丁度日本が東京オリンピックに湧いて英語教育や受験制度を2020年から見直そうと息巻いていた2018年くらいだったかな。

 時代が私を求めないのならば、私は喜んで身を引こう。若い頃は十数種類のバイトを掛け持ちしながら生きてたから、何をしても生きていく自信はある。ただ、自分の軸に反きながら生きることは耐えられない。そうやって私は全力で舵を切って時代の流れとは反対方向に向かって歩み出すことにした。

あの選択をしたから 〜生業がライフワークに繋がっていく〜

 それから数年。幸いなことに教室は未だに存続している。時代と逆行することを決めると、同じ方向を向いている人に見つけてもらいやすくなった、という幸運。わざわざ探して問い合わせてくださる方が増え、また他の教育機関で行き過ぎた成果主義に傷つき、英語を諦めかけた人たちが教室を変えて来てくれることもあった。教育に成果ではなく、我が子の「楽しみ」や「安らぎ」を求めてくる人で教室がいっぱいになったので、教室運営がとんでもなく平和で楽しくなった。教室には私はもちろん他の先生からも、子どもたちからも、そしておうちの方々からも温かい言葉が常に行き交っている。空気が美味しい場所の出来上がり、だ。

 よくよく考えてみる。学校には学校の事情がある。大勢を束ねるための方法。そして家庭は家庭で子どもの人生を考えて関わる責任を負っている。そのために試行錯誤。じゃ、週に一度50分だけ会う英語教室の私の存在は。
 私は子どもたちの何をもジャッジしない人でいようと決めた。かつてバリバリの英語講師の集まりで「私たちは角のたばこ屋のおばちゃんじゃないんです!ちゃんと英語力を!」って誰かが言っているのを聞いて感じた微かな違和感が、今心の中ではちきれんばかり。私は敢えて角のたばこ屋のおばちゃんでいたい。そんな人にお金払いたくない、って人はきっと私のところには来ない。それでいい。私は選ばれる立場だし、私もちゃんと自分の意志を伝えることで関わるべき人を選んでいる。

 ここでは大勢の中の一人として馴染んでなくても、大丈夫。遅刻しても来てくれたんやね、会えて嬉しい。宿題出来なかったけど、顔だけ見せに来てくれたんなら、やっぱり嬉しい。何が出来ても出来なくても。あなたの顔が見られて嬉しい。あなたがいてくれて良かった。
 そういう場所でありたい。

 そして私が掲げた「英語を嫌いにしない」は実は深い真理。2011年に英語が小学校に入り始めた頃に言われていた「英語格差を産むことになる」という専門家の意見は概ね正しかった。それに拍車をかけたのは2020年。現場とのあまりの乖離に情けなくなる程だが、社会は明らかに英語格差を産み続けている。英語教育に躍起になって、子どもを英語から遠ざける動きがかなり進み、実害も顕著になってきた。現代は環境的に恵まれているにもかかわらず、私たち世代となんら変わらない「英語なんて自分には無理」「英語なんて一生したくない」という子どもたちが急増しているという皮肉。
 結局ぐるっと回って私たちがすべきなのは、子どもたちに余計なことをし過ぎて「英語を嫌いにさせない」こと。そして私がしているのは、防御。子どもたちの心を守っている。
 教室の子どもたちがその後見せてくれる景色はこれまた皮肉で面白くて。ある生徒は私の元を離れた後、学校でこんなことを言われたと教えてくれた。「英語の成績は全然上がってないけど、英語が大好きなのは伝わってきます」
 こういう子は、将来英語が必要になった時に、何の躊躇もなく英語でコミュニケーションをとっていく人。私はこの「根拠のない自信」を信じている。ぱっと見わかりやすい成果としては見られない、魔法みたいだけど子どもたちが皆標準装備で持っている力。それを奪わないでおきたい。

 たった一人の、小さな小さな田舎の英語教室の講師に出来ることなんて限られている。でも私をかすめて大人になる人たちの心に小さな「安心」と「根拠のない自信」を残すことが出来たら、それが私のライフワーク。
これまでも、これからも。


#あの選択をしたから


読んでくださって、ありがとうございます。 もし気に入ってくださったら、投げ銭していただけると励みになります💜