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親のコツ

 英語教室。長いお子さんで幼児から中学生まで十数年。習い事の中でもお付き合いが長いもの。その中で、おうちの方々と語らい想いを揃えることを心がけている。おうちの方の想いを子どもたちに届ける。時には違う形で。

ついついガミガミ

 おうちの方とお話ししていると、最初にお子さんへの想いを感じる。「笑っていてくれたらいい」「楽しく過ごしてくれたらいい」「元気でいてくれたら」...それからすぐに申し訳なさそうなお顔で「でもついついガミガミ言っちゃうんですけどね」と。
 私はむしろその後の方にグッとくる。「親」である以上子どもに厳しいことも言わなければ、という覚悟を感じる。本当は元気でいてくれたらいい、そのままでいい、と心で願いながらももしマナーやルールを守れない子になってしまったら、人とうまく関われなかったら、とお子さんが将来当たるであろう壁を想像しながら厳しい言葉が口から飛び出す。

 私もその気持ちがよくわかるから、余計にグッとくるのだろう。私自身も子どもをもっと大らかに見守りたい、と思い悩んだ。子育てって本当に出口のないトンネルの様に感じることもあるし、自分が間違っているとしか思えない時もある。何か間違っているのでは、と常に粗探ししているような。

 そんな時何かで見た「親はガミガミいうのが当たり前」という言葉に救われた。そうだ。想いがあるからなんだ。これは親としての想いの伝え方なんだ。「そういうもんだから、いいんだよ」って言われることがどれだけ心を軽くするか。親として自分を責め続けた中でいわれた「それでいいんだよ」は、自分の心を軽くするだけでなく周りの人にも向かった。
 子どもたちも実は「これでいいんだよ」って言葉が必要なのかも知れない、そう思うことが出来た。

 親は自分が正しいのか間違っているのか、その迷路の中で手探りで歩く不安から、自分のことで精一杯になっている時がある。そんな時に射しこむ一本の光「それでいいんだよ」は、自分が行くべき道をうっすらと闇の中に浮かび上がらせてくれている。そんな気がした。

私の役割

 そこで私には二つの答えが見えた。子どもたちを少し厳しい目で見る「親」という存在。それは当然必要。我が事の様に心配したり叱ったりしてくれる存在は、自分がどれだけ大切な存在なのかを示してくれるもの。やがて大人になっていろいろな人に出会う中で、また自分自身が親となってから、親の小言に込められた葛藤や想いを知ることになる。それでいいと思っている。その時憎く恨めしく感じる自分の視界を遥か超えて、親はもっともっと先、自分が子どものそばにいられなくなった時のことを見て言っているのだから。人生の中のいつかのタイミングで親の想いを知ることが出来ればそれでいい。そう思う。

 そして二つ目。私が英語教室の先生として見つけたのは、私の役割。私は週に一度ほんの一時間弱の時間を共に過ごす英語の先生だけど、それでも子どもたちに関わる親や学校の先生以外の大人。おうちの方の想いと同じく「絶対にどんなあなたでも、好きだよ」という気持ちをダイレクトに表す役割。私はきっと昔で言うと近所の角のタバコ屋のおばちゃん。御近所さん。
「今日も元気にしとるね」と嬉しそうに目を細めて子どもたちを見守る。
 自分をジャッジしない、ただそこにいるだけで「今日も元気でよかった」と言ってくれる存在。それに徹しよう。そんなことで、私は一人の子どもを囲む各家庭の子育てチームの一員になったつもりで、子どもたちに関わっている。
 学習者の好みや状態、表情を見て関わることを得意とする「ことばの先生」をしている私にはこれ以上ない特技であり役割。私はそれをとても楽しんでいる。

英語の先生として

 タバコ屋のおばちゃんはわかったけど、ちゃんと仕事をしているのか。そう思われるでしょうから、専門的なお話を少し。
 英語ってそもそもが「言葉」だから、子どもが母国語を覚える時と同じ。リラックスしてお母さんに甘えたり一緒に笑ったりする様に出会うのがベストだと思っている。そこから始まって、温かく楽しく英語との一生のお付き合いが始まるのだ。
 ある生徒は英語を使って世界に羽ばたくかも知れないし、ある生徒は好きな映画を字幕無しで観たいと願うだろう。ある生徒は好きなアーティストのコンサートでMCを理解したいと願うし、ある生徒は英語の先生になるかも知れない。それぞれのニーズも目的も違うが、どんな子にも共通して必要なベースは「英語が好き」「英語って楽しい」という気持ち。
 日本人が英語を話せない、英語への苦手意識が凄まじい、その背景には「教科」として英語に出会い、理解に苦しんだり急かされたり大量の課題を課せられたり、常に評価され続けて英語と関わってきたことが大きな原因になっていると思う。
 私自身、英語が苦手だった母が私に同じ苦労をさせまいと幼児の頃から通わせてくれた英語教室が楽しくて、今思えば中学高校では結果を伴っていない時期もあったと思うが、それでもとにかく「自分は英語と仲良し」「英語は楽しい」という根拠のない自信が常にあったから、今もこうして英語と仲良くしていられるのだと思う。私は自分の経験上「根拠のない自信」の力を知っているのだ。

 だから私は子どもたちと「楽しい」を共有することを軸に指導をしている。そして一生ものの「根拠のない自信」を贈ることを。

親のコツ

 最後になったけれど、おうちの方が子どもたちとコミュニケーションを取る時に押さえていただきたいポイントを幾つかご紹介。

①態度は対等に
 おうちの方の命令を子どもが聞く、というよりはお子さんが出来る様に内容を話し合う。周りの同年齢の子どもたち全員が出来てもお子さんには出来ないことがあるし、逆もまたある。飽くまでもあなたが向き合うべきは目の前の一人。その声に耳を済ませること。
 「出来ない」と言うのは子どものわがままではなく、信頼。生涯通じて「出来ないことを出来ないと言える関係性」はとても大切。

②礼儀はきちんと
 大人でも子どもでも言い過ぎたな、間違っていたな、と思い返すことは多々あるもの。そんな時は子どもに謝罪を求めるより先に大人が謝ることが大切。そんな大人の姿を子どもも真似するものだし、大人の不要なプライドで謝らずにやり過ごそうとすると、そこから積み上がるはずの信頼関係が築けない。大人のプライドは本当に邪魔。それだけは言える。それにまつわる失敗をたくさん見てきた。
 そして、子どもにはどんなにひどいことを言っても「しつけ」や「指導」だから大丈夫と言われる方が時々おられるが、それは大きな間違い。
子どもも一人の人として尊重するべき。カチンときて言い過ぎるのはしつけでも何でもなく、大人の間違い。潔く謝って関係修復に務めるのがベスト。それは子どもの中にも立派な行動のモデルとして残る。

③共感しよう
 悲しんでいたら「悲しかったね」喜んでいたら「嬉しいね」
何かトラブルがあっても、誰かの文句を一緒に言う前にお子さんの気持ちに一番に寄り添おう。「悔しかったね」「頑張ったね」の一言があれば自分で問題解決出来るくらいの癒しとエネルギーを得ることは多々ある。
 大人が解決してやろうとするのではなく、お子さんの気持ちが落ち着く場所としてそこにいることが一番の癒し。ある欧米のスポーツコーチの言葉に、「一緒に考えるよ」だけで子どもは自分で考え始める、というものがあり「なるほど」と思った。誰かが寄り添ってくれている、というのは何よりも強い力になるものだ。

 かく言う私も、まだまだ子育ては続いている。毎日笑って怒って反省しての日々だが、そうして子どもたちを想うこの日々そのものが子どもたちを育てているのだと思う。上記の「親のコツ」は、子どもの成長にそれが良い、と言うよりは親自身の心を軽くするためにここにメモしておいた。
 皆さんが「それでいいんだよ」と自分に言いながら子どもに寄り添い、安心して日々を過ごせる様に、心を込めて。

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