見出し画像

先生、受験する

子どもたちに憧れて

 私の小さな英語教室は、英検の準会場。
毎回希望する生徒が受験し、私はその書類関係や試験監督をする。当たり前に何年も続けていること。
 受験に向けて私は特に勧めることもしないけれど、もし自分の意志ならば絶対に良い経験になることは伝えている。その話を聞きながら、子どもたちはゆっくり自分のタイミングを見る。
 そしてある時、思い切って受験を決める。生徒たちが決断をし、受験に向けて準備する姿、願いが叶って喜ぶ姿、結果が願い通りにならずにガッカリする姿を見ながら、何かにトライするって素敵だなと改めて思った。私は生徒たちの姿に憧れて約10年振りの受験を決めた。TOEIC Listening&Reading. そして子どもたちに宣言した。
「みんな見てたら、先生も頑張りたくなったよ。900目指すから。結果がどうであれ、みんなにちゃんと報告するから」

 自分への宣戦布告。ずっと見て見ぬふりをしてきた自分自身に向き合う時だぞ、私。

 子どもたちはニコニコしながら「先生、だいじょうぶだよ」「がんばって!」と応援してくれる。試験の応援をする側に子どもたちが回ることも面白い。お互い立場を入れ替えっこした感じ。

初めて出会う自分

 この受験に際して、私はTOEICの模試や過去問をすることにした。そして隙間時間で単語を覚え直し、日常的に少し難しい英語を聴き、長文を読んだ。朝、少し早起きをして通学する娘と一緒に駅にあるミスタードーナツでコーヒーを飲みながら朝活。なぜかここでの小一時間はとても濃密で、集中が違う。
 一度そちらに気が向くと、学ぶことが当たり前の毎日になった。大人の英会話の指導をしているが、毎回集まる皆さんからの質問を丁寧に調べてわかりやすく教えられる様に準備をする、その時間も楽しくてたまらない。自分にはまだまだ知らないことが山程あって、それを知ることで自分がパワーアップしていく様な気持ちがたまらない。学生時代の学びは、知らないことがあると焦りに繋がっていたけれど、今の学びはワクワクに繋がる。
 そして何より良かったのは、英語以外にも学習者として自分が体験してみてわかることがたくさんあったことだ。生徒の皆さんが何に行き詰まって、それをどうしたら打破することが出来るか。そんな考え方やきっかけももっと突っ込んで一緒に考えられる様になった。学習者であることは、辛くて楽しい。その辛い部分をどうやって乗り越えていくか。どうやってワクワクを学びに繋げるか。その研究もまた楽しくてたまらない。自分自身の体や心を使っての実験みたいなもので、英語の知識を入れるのと同時に学習者として湧いてくる感情を私は次々にメモしていった。

娘という先輩

 かつて私の生徒だった娘も、今では自分で学びたいことを学び歩んでいる。彼女は幼い頃から学ぶことの楽しさをよく知っていて、恐らく学ぶことが好きな人なのだと思う。勉強が嫌いだった私から生まれた勉強好きな娘に、アドバイスを頼んだ。

「隙間時間は大事。隙間時間で単語を覚える」
「覚えられない単語はスマホに録音して、寝る前に聞く」
「音楽やドラマ、その言葉が使われているものを楽しむこと」
「散歩しながら、運動しながら、の方が暗記しやすい」
「試験前の数分にでも5つは単語を覚えられる。取り敢えず5つ覚えておこう」

 自らも語学の検定試験などを趣味で受けているだけあって、アドバイスが明確で、どれもすぐに始めやすい。彼女はいつしか私の英語コーチになっていた。一緒に買物に行く時も私の単語帳を開いて単語チェックをしてくれる。自分で覚えた気になっていても、そうやってチェックされると抜け落ちていることがたくさんある。
 娘は励まし上手でもある。イメージが膨らむ様なヒントをくれて、そのヒントで随分簡単になった問題に答えても、立派だと褒めてくれる。お陰で私は嫌にならずに一番嫌いな単語暗記に取り組むことができた。

 私は伴走者のあるべき姿を娘に学んだ。

目標があること

 「目標を作りなさい」と学校に通っている間中言われ続けた。でも誰も「私の目標は〜なんだ」と言ってくれなかった。作りなさい、という人たちの目標ってなんだろう。みんなが目標を作ることかな。
「目標」という言葉を聞きすぎて、ウンザリしてしまったからそのワードが聞こえたら無視する様になって。目標の意味もわからなくなっていたけれど。
 今回勉強してみて思ったのは、「私が会話の中でもよく使う単語や熟語、文法は中学や高校で習ったものだ」ということだった。私が学校英語を否定しない理由はここにある。学校で習う英語は実際は「使えるもの」ばかりなのだ。使うマインドを学ばないから使えないだけで、知識としては十分。
私は今になって大嫌いだった学生時代にちょっぴり感謝する。小テストや定期テスト、と少しずつ区切って私たちに強制的に小さな目標を作ってくれたお陰で、私は膨大な英単語や英文法の林の中で迷わずに少しずつ知識を貯めていくことが出来た。それが30年経った今でも、単語帳をめくればよみがえってくる。

 小テストや定期テストが無い今、小さな目標は自分で作るしか無い。あの時に無視していたワード「目標」が、今意味を持って私の目の前に現れた。
そして自分でTOEIC受験を決めた時、それが私の小さな目標となり道標になった。

 目標がある。期限がある。よし、ここまでやってみよう。出来るだけたくさん言葉を覚えよう。たくさん触れよう。そうしている間に、もうこんな年齢の私でもどんどん吸収していくのを感じる。学びは幾つになっても自分に成長をもたらす。目標があると毎日にハリも出る。その目標を軸に一日の過ごし方が変わっていく。読む本が変わる。ルーティーンが変わる。
「私の目標はこれだよ」と言ってそれに向かって頑張る姿こそが、子どもたちに目標の意味を伝えるのかも知れない、と思った。

絶望の先

 そして試験当日。今までしたことのないことを心がけた。勉強以外のメンタルやマインド強化だ。これはある意味アスリート的でもあった。
とにかく深呼吸をすること。テスト前のちょっとした暇な10分、目を閉じて瞑想。2時間集中を切らさないために生活態度も改めることや早く寝ることも心がけていた。

 結果は、想定外の「時間切れ」。
最後は焦る自分の気持ちをなだめながらとにかくマークシートを塗りつぶす作業。情けなくて悲しかった。これで当たったとて、これで目標点数に近づいたとて、私の実力ではない。
 ちょっと伸びていた自分の鼻がペキッと折れた。
「あいたたた...」となりながら、でもなぜか爽やかな気持ちだった。もっと出来ることもあったし、まだまだ伸びしろ十分ってこと。
年齢を重ねて体力も落ちたし、出来ることが減ってきた様に思っていたけれど。まだ伸びる。今回の方法を見直して、更に学びを深めていこう。ちょっと休んだら、また頑張る。

 生徒のみんなはなんて言うかな。「先生なのにちゃんと準備できなくておかしいね」って言うかな。それとも共感してくれるかな。
少なくとも私は、みんなに共感出来る様になったよ。立派な見本になれないけど、転んでもまた立ち上がる見本にはなれるかもね。
 それだけでも嬉しい。


この記事が参加している募集

学問への愛を語ろう

読んでくださって、ありがとうございます。 もし気に入ってくださったら、投げ銭していただけると励みになります💜