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一緒に考えよう

 以前にも書いたが、私の今年の目標は「自主的な人を育てる」こと。いわゆる「主体性を持って学ぶ人を育てる」という文科省の掲げる目標と内容は同じ。ただ、その本気度は違う。私はかなり本気だ。

「紙がありません」

 先週したプリントの続きをしようと思ったら、生徒が一言
「先生、紙がありません」
家に忘れたのか捨てたのか、とにかくプリントが手元にないから一緒にプリントをすることが出来ない、と言いたいのだろう。言わずにジッと座っている子や叱られるかも、と黙ってやりすごそうとする子よりも少しは前に進んでいる感じもするが、実際は同じことだ。
むしろ、「叱られたくない」という目的で黙ることを選ぶ、の方がその子の意志を感じるが。「紙がありません」という言葉の相手任せ感が私の元に直球で飛んでくる。
"OK."
 そう応えてプリントに取り掛かる。するとまた、
「紙がないんですってば。」
もう一度その子の方を見て
"OK.わかったよ"
としてまた進めようとすると、ようやく
"Paper, please."
"OK."
予備のプリントを渡す。
嫌味ではない。本当にただの報告をする人、と報告と受け取る人の会話。
でも最後の要望と応答、これが当然あるべき姿。AとBの会話、だ。

紙がありません、お茶がこぼれました、寒いです...

私はその先の言葉を待ってる。
それは語学学習にも繋がる。特に英語には大切な要素。

あなたの問題

 私の中で絶対に大切にしているのは、生徒との信頼関係。
絶対的な安心感を常に提供している。私はあなたが必要なものを持っている。あなたを幸せにしてくれるであろうものを、いつもあなたに投げ続けている。でもあなたにもコンディションがあるでしょう。一回一回のレッスンで、それを持って帰る量は自分で決めてね。と伝えている。

今日はしんどいから話聞くだけ。OK。
今日はちょっと頑張れそう。たくさん喋って帰るよ。OK。
今日は宿題出来なかった...  OK。
今週はやる気あるから宿題いっぱい出来ると思う。OK。

 いつも同じ温度を心がけている。私の与える安心感は、あなたがどんな風であれ、私は変わらずここにいるよ、ということ。
子どものどんな言葉も、それが「自分で決めたこと」なら私は笑顔でOK.と受け止める。

 ただ「どうせ宿題しないから」とか「DVDを観る機械が壊れています」という報告に関しては、No, thank you.
 それは『あなたの問題』

 結果的に宿題が出来なかったのなら仕方ないけど、最初から「どうせ」と諦めたり投げ出すのはもったいないし、出来ない理由を言われたところでそれはあなたが次にどう動くかの材料でしかない。私の問題ではない。
 冷たく聞こえるかも知れないけれど、大人はすぐに手を出せてしまう。頭の中できっちり分けておかないと「自主性」は育たない。
「じゃ、どうしたらいいかな」
と声をかけると、「あ、車に乗った時に車ので観よう」とか「近くに住んでるおじいちゃんちにあったわ!」と。
「すごい!良いアイデアが出たね。じゃ、観られるね!」
と一緒に喜ぶ。私がすることはそれだけ。でも子どもの中ではその日大きな成功体験が生まれる。確実に一歩前に進んでいるのだ。

 考えるきっかけと、一緒に考えてくれる人の存在。それさえあれば、子どもたちは考える練習が出来る。主体的に動く経験を積むことはどこでも出来る。私たちは大人だから経験上出来ることが多く知識があるのは当然。けれどそれを携えながらも、子どもが自分でアイデアを出すのを見守り応援することが、自立を促すことに繋がる。

してくれなかった

 最近よく聞く言葉「あの塾は成績を伸ばしてくれなかった」。大人が言っているのは何度も聞いて慣れているが、それを子ども自身が言うことにちょっとした危険を感じている。「してくれなかった」という言葉を発することに慣れて欲しくないな、と思う。そういうマインドを放っておくと、大人になってからも続く。一生続く。

 主体的に学ぶ人は、誰かが自分の成績を伸ばしてくれるのを待ってはいない。そこから違うのだ。すなわち「原因は相手ではなく自分にある」
それから目を逸らしている以上は、「主体的に学ぶ人」には一生かけてもなれないのだ。

 では主体的に学ぶ人だったらその塾のことをどう言うだろう。きっとなぜ自分の成績が思う様に伸びなかったのか、その理由の話をするだろう。自分と合わない部分を見つけるだろう。それが見つかれば次のアクションに繋げることが出来る。自分が先生からの説明を受けるばかりの授業よりももっと自分でワークを解きたい、と思えば次はもっと自分に合う場所を見つけることが出来るだろう。その答えをここで見つけることが出来たのなら、それは一つの成功体験。
経験を成功体験に変えていく人は、強い。「失敗」だったと言ってまた他の「自分に何かをしてくれる人」を探し続ける人は、経験自体を無駄にする。結果的に時間と労力とお金も無駄にしているということになる。

 問題にぶつかった時に、いかにその問題と向き合うか。それは人生に必要な力。受け身でいることに慣れすぎて、自分で解決出来ることに向き合いもせず、誰かが解決してくれることをただ待ち続ける姿勢は、周りの大人の工夫や関わり方で変えることが出来る。

 「自主性のある子を育てるために」あなたは何をしますか。
一緒に考えてみませんか。

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