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婚活パーティーの思い出

 先日、通っている英会話スクールのイベントに行ってきた。英語で話をする会、ということ以外何も知らなかったけど告知が流れてきた時になんとなく「行きたい」と思ったこととスケジュールが空いていたこともあり、気が付くと申し込みを済ませていた。

 当日。いつもの教室に行くといつもと様子が違う。同じスクールの違うクラスからそれぞれ人が集まっているから、完全に初対面の人たち。その人たちとグループを組んで、小一時間のトークタイム。それぞれ自己紹介。私は「元々内向的でこういうイベントは緊張しますが、頑張ります」的なことを言った。その前に言った「英語教室を運営する英語講師です」とのコントラストが凄まじいけれど、それが私だから仕方ない。英語の先生=パリピと思われていることが多いけど、私は違う。かつてオール阪神・巨人の舞台裏を見た知人が「あの人たち、全然喋らんよ」って言った時、子ども心に少しガッカリしたけど、今ではよくわかる。仕事は仕事。

 ここで感じた違和感。それは、全員が日本人で英語を話しているけど初対面で探り合ってる様な感じだから、私の中での英語特有の開放感がない。それなりに工夫されたイベントで会話の順番は回ってくるのだけれど、どう立ち回ったら良いかわからない。
 これはイベントの問題ではなくて私の問題。だから堂々と書いてる。日本人同士でも英語喋ってたら率直に話せる!って生徒さんにも言ってるし自分もさっきまでそう思ってたけど、なんだろう。この感じ。懐かしい気もする。あ。思い出した。30年くらい前に一度だけ行った婚活パーティー。

 友達がバイトをしていた会社の企画するお見合いパーティーの参加者に欠席が出て人数が足りない。ジュース飲み放題だから来て、とのことでジュースに釣られつつ社会科見学の気分で参加した。
 自分のいるテーブルには私が書いた情報。名前と血液型と趣味を書いて置いておくと、次々に回ってくる男性陣がそれを見ながらいろいろ質問したり話題を膨らませたりする。「え?B型?じゃちょっとマイペース的な?」といじってきたり、「わぁ、奇遇!僕も一緒です」って言われたり。友達は料理したところ見たことないのに趣味に堂々と「料理」って書いて男性陣に喜ばれていた。そういう時代。
 そこでの「コミュニケーションの顔をした寸劇」みたいなのに対する違和感がずっと心に残ってる。そう言えば私は初めて行く美容室での会話も苦手。「休みとか何されてるんですか〜」って聞かれて答えても、急に髪型の話されたり時計チラチラ見てたりして、「あ、これは儀式か」ってガッカリすることが多い。そうだよね、自分に興味あるわけないよね、なんてひねくれた気持ちになる。当たり前じゃん、そんなの。興味ないさ、ただの儀式さ。

 きっと私が会話を「人への興味」だと思ってるからなんだろうね。何か別の目的があって時計をチラチラ見ながら時間潰しみたいにしてる会話とか、自分のことをただただ知って欲しくてしている会話とか、英語を話すための会話とか。そういうのに冷めちゃう自分がいるんだと思う。

 人に会うのは楽しい。でも情報が多過ぎると疲れるし、興味を持つ前にどんどん踏み込まれるのも進んで行くのも疲れちゃう。そもそも自己紹介ってなんだろう、って考えた。話しながらわかっていくことだけでいい気がしてきた。私が好きなのは、電車で隣り合った人と「良いお天気ですね〜」って話しながらちょっとその人の身の上話聞いちゃったとか、ちょっと話してしまったとか、そういうのんびりした会話なのかも知れない。

 会話の先生していてこんなこと言うのもなんだけど。でも繋がるのは「だからこそ私は生徒さんの話を興味を持って聞く」ってこと。どうでもいいと思って聞くことは皆無。そうなったらその時は、この仕事を辞める時だと思う。相手への興味がない会話なんて、会話じゃないと思うから。

 だから、いっぺんにたくさんの人と出会うのは苦手だし、何か別の目的を持って集まるのは苦手。納得。結局30年前から何も変わってないじゃん、私。そんな自分を愛おしく思いつつ。自分に対する興味も一生忘れたくないなぁ、なんて。
 
 件の婚活パーティーで、ジュースをひたすら飲むB型の私になぜか興味を持った人がいて。その人は当然カップル成立ならず。矢沢永吉さんのファンであろう革ジャンで髪がツヤツヤの人だった。悪い人じゃないと思うけど、私は補充人員だし。目をつけた相手が間違いだったということで。
 パーティー終了後、皆から一歩遅れて会場を後にすることにした私と友人。誰もいない会場でエレベーターの扉が開くと、徐々に見えてくる矢沢さん。どんだけエレベーターの中で待ち伏せしていたのかわからんけど。「いらっしゃいませ〜」とおどけた感じで言ったあの画がホラーだったな。ダッシュで逃げたのも良き思い出。こんなコミュ障の私に構ってしまったばっかりに、ゾンビ扱いされたあの人もどうか幸せに暮らしていますように、と願わずにはいられない。私にパーティーは向かない。改めてそう思った30年後のイベントだった。


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