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誰にでも必要なもの

  昨日とあるyoutubeを観ていたら「配偶者の顔が好きで好きになった」と言い切った人がいて、単純に清々しいと思った。

 「え〜顔?!」って最初思ったけど、でもその夫婦は本当にずっと仲良しだしちゃんと意思疎通し合って互いに正直でい続ける。二人の時間が積み重なって二人だけの歴史になって、今は子どもも囲んで良いチームになっている。言葉だけに囚われて本質を見ないと、ただの面食いカップルの話だけど、ずっと一緒にいてもコミュニケーションを怠らず関係性を育てていく彼らには、学ぶべきことは多い。

 「正直になること」を考える。

 私たちは成長過程で素直になれる場所をどんどん潰される。子ども時代が一番それが許される時なのに、その思い出さえ持たない子どもたちが多くいる。大人に気を遣って「都合の良い存在」になって愛されようと必死だ。またはこれ以上傷付かなくて良いように、子どもたちはなんとかして生き延びる知恵を絞る。大人の要求が透けて見えれば見えるほど、頑張ってしまう子どもたちがいる。

 心がグラグラしている大人が多い。本当に多い。
私たちが生まれて育つ過程の中で、「本気で安心出来る」「本当の自分でいられる」ことの大切さが改めてクローズアップされたら良い。なぜか管理社会の管理は年々どんどん強化され、方法も歪になっていく。
 メンタルケアの必要性も方法も学ばないままに大人になって、グラグラした気持ちは更に若い世代に向けられる。私の世代の大人たちは「言葉」で育てられた。その言葉は、人をコントロールしようとした人たちが考えた中身のない空虚なものばかり。校則はその最たるもの。今思うと「マフラーが自転車に引っかかるから、マフラー禁止」とか「髪が長いと集中できない」など、ツッコミどころ満載な言葉の数々だけれど、私たちはその空虚な言葉を聞くと戦意喪失した。
「こんな当たり前に論破される言葉を使ってくる大人たちとは、話し合いではわかりあえない。こんな薄っぺらい言葉で私たちを制しようとしていることは、結局力を使うに違いない。」
 
そう考えて、黙って従う方を選ぶ。ちゃんと考えられる若者たちも、いつしか思考を止めていく。自分たちの精神衛生のために力を持たない彼らが出来る唯一のことだ。その思考停止が癖になって、現在に至る。

 安心感を与えずに、結果ばかり求めようとするのは、あり得ない。
そもそも人の生き方に「誰かのための結果、成果」は必要なのか。大人が立ち止まって考える時だと思う。明日のある子どもたちでさえも、自分を守るツールにしてしまう大人たちの浅はかさ。心がちゃんと成熟していたら、こんなことも起こらないだろう。

同じことを繰り返してはいけない。

 壊れゆく子どもたち、教育現場、大人たちを見ながら日々そう感じている。

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