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マチネの終わりに (読了)

「今頃」という気がするけれど。
思えばこの表紙、幾度となく目にしたし、誰かが読んだって話も何度も聞いた。でも私の心に引っ掛からなかったのは、人のタイミングなんだろね。今の私に強烈に引っ掛かったこと自体、大切にしたい。

 先日読んだ「本心」に続いて手に取ったのは「マチネの終わりに」。
強烈に心に残ったことは、「誰といる時の自分が好きか」みたいな部分と「未来は常に過去を変えている」という部分。ハッキリと言葉で覚えてはいないけれど、そういう趣旨の言葉だったと思う。

 「過去を変えられる」ということは常に感じてきた。実際私自身も後から「なんで?」と思う様な行動や決断をしてきたけれど。その過去がどんどん変わっていくのを日々目の当たりにしている。そしてそれは変わっているのではなく変えることも出来ると感じている。

 平野啓一郎さんの「人が幾つもの顔を持っているのは、一人の人が仮面を被って偽っているのではなく、それぞれがその人自身である」という分人主義には深く頷くことができたし、それを希望にさえ感じた。

 私は家族といる時の自分が一番好き。でも英語の先生でいる時も好きだし、わずかだけれど語り合える仲の友人たちと一緒にいる自分も好き。過去に嫌いだった私は、クラスで浮きたくなくてもっと酷い悪口を探している時の私、飲み会で愛想笑いしている私、パリピな振りしてる私。でもその時はそこにいる為に必死だった私。断罪することは出来ない。あれも私。長く生きている間に、自分にとって嫌な私とは少し距離を置くことが出来る様になってきた。今の私はというと、学校やあらゆるしがらみから遠ざかり、自分が心地良い関係だけを残して生きている。それに罪悪感を覚えたこともあるけれど、その人自身やその団体を好きだ嫌いだというよりも、その人や団体といる時の自分が好きじゃないと気分が良くない。だから「距離感」「バランス」は私の中では常に大切。

 最後の疑問だった「どんなに心や体が傷んでいても、授業が始まると元気で笑っていられる」私が被るべき残酷な仮面だと信じていた部分も、これまた偽りのない自分なんだと思うと気が楽になった。

 人間とAIのことも考える。AIがどんどん使われて「人でいる良さってそもそも何?」みたいな疑問を持つ機会もこれから増えてくるかも。
 大多数に混ざるために正義感を振りかざして断罪することが、昔は人と人の会話の中だけだったけれど、今やSNSのおかげで全世界のその正義感や断罪を目にすることが増えた気がする。
 そんな社会では好まれないかも知れないけれど、私がいつも気にしていたいのは、白黒じゃない部分。曖昧な部分。不思議な部分。嫌な部分。自分自身の中にもそれがあるということ。そういうのと向き合っていくのも、また人間で良かったな。。。って思える部分であり、人に残された良さの様な気がする。それを愛でることもまた人生の味わい。

 いろんなことがストンと落ちた。

 そういう意味でも今これに出会えたタイミングとか、そういう不思議を大事にしたい。そういう本でした。

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