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守護霊はおじいちゃん
*この記事は自死やイジメなどトリガーとなる内容が書いてあります。苦手な人はスキップして楽しい記事を読んでください。
最初で最大の喪失
小6の夏、殺伐とした機能不全家族の中で唯一私の味方だったおじいちゃんが自殺した。
あの日私は、レアな歯科疾患の治療で新潟の大学病院まで通院する日だったので家を早朝から留守にしていた。時は1997年。携帯電話は普及していなかった。
夕方、長旅と治療でへとへとになって家に帰るとパトカーが止まっている。「え?強盗?」と思ったが、家族に話を聞くと祖父が窓から飛び降りたとのことだった。割と高さのない窓だったので、一命を取り留め、今は病院に入院していると聞いた。
祖父の自殺未遂はこれが初めてではなかった。今までも毒を飲んだり、灯油を飲んだり、色々試みては苦しい目に遭うものの、生還して帰ってきていた。
当時反抗期の始まりの時期だった私は、またいつものように帰ってくるのだろうとタカを括っていた。実は今回の事件の前、反抗期を発動しておじいちゃんを無視したりしてしまっていたので、ここで死なれては困ると防衛本能から現実を否定していたのかもしれない。
ところが、快方に向かっていると思った3日目の朝3時、母がすごい勢いで私の部屋に入ってきて、「おじいちゃん死んだ。」そう言い残してまた台風の如く去って行った。
暗い部屋に残された私は、母の言った言葉だけが頭の中でシンバルのようにけたたましくリピートし、それに合わせて「ドッ、ドッ、ドッ、ドッ」と全身が心臓になったかのように振動した。
ショック。。。
その一言しかない。感情全てがフリーズして、涙も出なかった。続々と集まる親戚の指示に従い、田舎ならではの自宅葬に向けてセカセカ動くことが、唯一の現実逃避だった。
立ち止まったら、黒い何かに飲み込まれそうだった。
自宅に帰ってきたおじいちゃんの遺体を、私は直視することができなかった。冷たい身体、紫色の唇、硬直した手…もし少しでも死のサインが見えたら、自分が壊れてしまいそうだったから。
「私がおじいちゃんに優しくできていたら、死ななかったのに。私がおじいちゃんに冷たくしたから、おじいちゃん鬱が酷くなって死んじゃったんだ。」
12才の私にはとても受け入れられない罪悪感、羞恥心、そして祖父はもういないという現実が、吐き気となって襲ってきた。おそらく私のパニック障害の初期症状はここからきているのかもしれない。
2つの原爆記念日に終戦記念日、そしておじいちゃんの命日。私は死を象徴する8月が大嫌いになった。
中学でのイジメ
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自分の心に蓋をしたまま、私は小さい村の小学校から学区内のマンモス中学校に持ち上がりで進学した。
私は機能不全家庭で育った、空気が読めないいわゆる「変なヤツ」だったんだと思う。家庭内では罵られ、煙たがられるのが日常だった私は、せめて学校では存在を誇示したかった。
学級委員に立候補したり、弁論大会に入賞したり、頼れる先生と仲良くしたり。夏休みにあるクラスの男子に、「これ以上目立とうとするとぶっ潰すぞ。」と脅迫まがいなことを言われたが、家で不良の兄に言われ慣れていたし、ただの脅しだろうと気にも留めていなかった。
2学期、「菜海子がウザい」という噂(?)が立ち始めた。するとそれはまもなく、「菜海子がキモい」に変わっていき、学年中に山火事のように広まった。
授業中は、先生が見ていない間後ろから消しゴムやゴミを投げられた。そしてそれはエスカレートし、朝登校すると教科書が全てゴミ箱に捨てられていたり、机にノリが塗りたくられていたり、雨の日に机が外に出されていたり…。全校集会では出席番号順であるにもかかわらず、まるで私が病原菌であるかのように、私の隣に誰が座るかで大揉めになっていた。本当に惨めで、消えてしまいたかった。そして下駄箱には毎日「死ね」と書かれた手紙が入っていて、上履きには無数の画鋲が入っていた。
皆んな次のターゲットになるのが怖くて、誰もかばってくれる人はいなかった。先生にも相談したが、効果はなく、イジメは酷くなるばかりだった。
「私がおじいちゃんを死に追いやったのだから、みんなに嫌われるなんて、当然の報いだ。」そう思った私は同時に、自死こそが、現実から逃れる方法だと思って自殺願望を強めていった。
「おじいちゃん、今日こそ私をあの世に連れていって。」そう願って泣きつかれて朝になる日々だった。
「学校に行きたくない。」
そう親に訴えたが、「甘ったれるんじゃないよ。今行かなくなったら登校拒否になるよ!」と母に無理矢理車で学校に連れて行かれた。
父は「攻撃した人間に、報復する人は強いとは言わない。菜海子、本当に強い人になりたいのであれば、思いやりで返しなさい。」と私を諭した。父の助言は高尚ではあるものの、現実的ではなく、その後私はこの助言に縛られ何十年も「正当な怒り」という感情がわからなくなってしまうのだった。
ラッキーなことに2年生に上がる時にクラス替えがあり、その学年で1番権力と人気があった男の子と意気投合し親友になった私は、イジメから解放された。
しかしイジメの後遺症は今でもあり、noteを更新する度に「菜海子ウザい」「目立ったらぶっ潰すぞ。」という内在化したイジメっ子の声がエコーし邪魔をする。実際、学歴や経歴を積んだ後でも、自分の考えを発信するか決めるまで5年以上迷った。それだけイジメは、ヒトの心に傷を残すのだ。
父狂う: 2度目の喪失
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高校2年になると、今度は父親が統合失調症に限りなく近い躁鬱病を発症する。幻覚、幻聴、誇大妄想から都知事選や市長選に出馬しようとしたり、さらには被害妄想から家族を殺そうとするようになった。
毎晩、鍵がかかったドアを「殺してやるから出てこい!」と叫びながら割れるぐらいドンドンと叩いた。「包丁を持っているかも。」震えながら静まるのを息を潜めてジッと待っていた。夜に限らず、日中も私の高校にも躁状態で殴り込みに来て、警察に私と他の在校生の前で連行された。人生で1番恥ずかしい出来事の一つだった。しばらくして父は半ば強制的に厳重な監視下に置かれた精神病院に入院させられることになる。
鎮静剤を取り押さえる病院スタッフにお尻に打たれながら、ゆっくりと閉まる鉄のドアの向こうから聴こえた、「この、裏切り者〜!!」と叫ぶ父の声は忘れられない。
ドアが閉まった時、今まで私が尊敬する優しかった父親が、病のためその真逆と化した現実を受け入れ、とてつもない喪失感に襲われた。
父が入院中私は両親が営む飲食店で学校帰りに制服のまま手伝う日々を送っていた。今考えれば、よく朝学校に行って、部活をやって、夕方から深夜まで店を手伝うという生活を送れていたと思う。勉強ができなくて当然だ。
祖父に自殺され、学校ではいじめられ、父に殺されかけ、夜は制服で水商売をして、勉強もできず、この世に居場所なんてものはなかった。
でも身近すぎる問題は直視することも、解決することもできない状況だった。しかも当時の田舎なんてカウンセラーもいなければ、ロールモデルを探す術もない。
苦境の中に将来の夢
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いつの間にか、テレビで流れるイラク戦争のニュースに自分を投影していた。強いヤツらに、決定的な根拠なしに脅威か害のように責め立てられ、攻撃される、というイラクと英米の構図が、まるで自分を見ているようでいたたまれなかった。
「仇は思いやりで返しなさい。」と言った正気だった時の父の意思を継ぐためにも、争いのない世界を作りたい。国連をもっと戦争抑止に効果的な機関に変えたい。そんな思いから、国連を目指すこととなったのである。もちろん、さらに本音を言えば、価値を感じられない自分に権力と箔をつけたかった。私を怯えさせ続けた家族が私を恐れるくらいの、確固たる立場を渇望していた。
そこから、前回の記事で語ったようにさらに紆余曲折あるのだが、最終的に私はコロンビア大学に入学する。何を隠そうそこはニューヨーク、マンハッタン-国連本部の所在地だからである。
天と地の狭間に
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コロンビアの寮に着いてまだ2日目だったと思う。粗末なシングルベッドにまだシーツも敷いていなかったところからすると。時差ボケと新しい刺激で疲れ果てていた私は午後3時くらいに昼寝をしていた。
すると、今まで見たことのないくらい鮮明なおじいちゃんの姿がニコニコして夢に現れた。
👴🏻「菜海子、大したもんじゃないか。よく頑張ったのぅ。」
👩🏻「おじいちゃん!?今までどこにいたの?私ここまで来るの、辛くて辛くて、ずっと助けて欲しかったんだよ!でも、おじいちゃん冷たくしてごめん!」
👴🏻「何言ってるんだ。おじいちゃんはお前のお陰で長生きできたんだよ。だからずっとお前の側にいたんだよ。ずーっと。だから頑張ったのもよ〜く見てたよ。」
👩🏻「じゃあ、これからも…?」
👴🏻「お前はもう1人で大丈夫。おじいちゃんはこれからお前のお兄ちゃんが心配だからそっちに行くよ。」
👩🏻「え!ヤダヤダ😭ずっとこっちにいて!もう離れたくない!」
👴🏻「いざとなったらおじいちゃんすぐ助けてあげるから。安心しなさい。」
👩🏻「うん…わかった🥲」
👴🏻「あ、ひとつだけお前にお願いがあるんだ。お母さんに、豆ご飯作って仏壇に上げてって伝えてくれるかのぅ。」
👩🏻「豆ご飯?わかった!すぐ言う!」
その瞬間目が覚めて、寝ながら息もできないほど号泣していたことに気づいた。そしてこの夢の内容を伝えるため、すぐさま実家に電話した。
おじいちゃんとの会話を伝えた後母に、「おじいちゃんが、豆ご飯作って仏壇に上げてだって。」と早口で伝えた。
「えぇ!?」と母が強く言ったので、手間のかかる料理なので無理なお願いだったかなと一瞬思った。
「お母さん、いま何年ぶりに豆ご飯作ってるんだけど…😨」母は絶句した。
こんなことってあるんだ。おじいちゃん、きっと本当にずっと見守ってくれてたんだ。だから、バンクーバーでもいろんな人に助けられて、生きてこれたんだ私。
私の守護霊はおじいちゃん。
超常現象や、自分の認知世界や常識すら完全に信じない私もこれだけは、盲目的に信じたい。
そして皆さんの大切な、この世から旅立った人や動物も、きっと守護霊/守護神として見守ってくれているはずだ。時に不思議なほど近くを飛ぶ蝶々や鳥に扮して、サインを送っているかもしれない。
「すべては理由があって起こる(Everything happens for a reason)」という人はたくさんいる。でも私はそうは思わない。だってそうしたら、世の不条理やあまりにも残酷な、痛ましい死を正当化してしまうことになる。宇宙はカオスなのだ。しかし逆を言えば、もし宇宙がカオスで無意味なのであるならば、心が張り裂けるほどの悲しい出来事を最高の教訓や人間性に昇華させる自由が我々に生まれるということだ。
それなら、私はその自由をこの世にいる限り、謳歌する。
振り返り
皆さんの周りにもきっと、人との距離感がわからなかったり、出しゃばりだったり、逆に対人恐怖があったり、と、色々な人がいると思います。私が生徒と自己理解を深めるエクササイズをやっていると、それってその人が生き延びるために身につけた術であって、本来の人格や性格ではないとわかる場合が結構あるんです。だから自分を知ると、他者への想像力も格段に増すんですよね。あ、みんなただ一生懸命に生きているんだ。と。
能力が高いと特に、正面から見ても普通に他の人と同じコースを走っているように見えます。でも角度を変えてみると実は、鎖やオモリを幾つも引きずっていたりすることも。
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そんな足かせを引きずりながら皆んなと同じレースを走ると言うことは本当にすごいことで、きちんと気付いて自分を労う機会が必要なんです。そうでなければ、「皆んなあんなに楽しそうに人生を歩んでいるのに、なぜ自分だけ生きづらいんだ。」と自分をまた責めてしまいます。
そして志高い崇高な将来の夢ですら、結局は国連に行くことで自分を救おうとしていた私のように、実は傷ついた自分を癒すためであることも多々あります。利他的だと思っていた自身の人生の目的が、自分のためだと気がついた時、それでもその目的や夢を追いたいのか、又は他の道があるのか、見極めることはとても重要です。自己分析はそういった、軸になる経験や価値観を見極めるのにとても有効で、特にちょうど子供から大人になる大学進学のタイミングでやるのが1番効果的だと思います。
もちろん大人になれば、人生において精神的に傷が残る大変な経験をした場合、それらの歪みやトラウマは自発的にセラピーや精神分析、認知行動療法などを利用して癒していく責任があります。私自身、幸せを感じられるくらいまで心を癒すのに、15年以上の精神分析と臨床心理の治療と学習が必要でした。
どれをするにしても、どんなに健全な人でも、自分と向き合うというのは、とても痛みと勇気を伴う作業です。でも、自分をしっかり見つめることで、自分に対する無条件の愛が生まれます。「こんなこともあったし、あんなこともやらかしたけど、私よくここまで生きてきたじゃん!これからは(も)自分を大切に生きよう!」そう思えたらもう人生こっちのモノです!
他人の価値観や、愛されるために自分を妥協したりせずに、自分の意志をコンパスに人生の舵を切れるようになります。そうすれば、自分の心が一番の居場所でありパワースポットになることができます🥰
きっと今の仕事を通じて生徒が自分に無条件の愛を育むお手伝いすることで、私は自分の人生で今まであった辛いことに価値を見出そうとしているのかもしれません。
入ったヒビや欠けた部分を隠さず敢えて輝かせる、金継ぎのように。
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私と白川寧々さんの海外進学についてのお話が聞けるイベント!
2024年7月6日 9:30am
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