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インド人とマンゴー
「海外で結婚相手を探すなら、インド人かアフリカ人にしなさい。」
2004年の6月、カナダ留学を数日後に控えた18歳の私に、父はそう言い放った。
「父親のくせに、どんなアドバイス!?しかも私はかっこいい白人の彼氏見つけるし!」と、息巻いていた。
しかし同時にグローバルな経験を持つ父の言葉には私には知り得ない理由があるのだろうと思い、妙な説得力も感じていた。
父は料理の修行と称して1970年代に世界中を放浪した経験があり、訪れた国々の中でも特にエチオピアとインドが大のお気に入りだった。幼くてインドが何かもわかっていない私に、「お父さんは金がなくて、インドで野生の木にどっさり実った最高に美味いマンゴーをたらふく食べてお腹壊したんだよ。お父さんが死んだらガンジス川に散骨してくれ。」と時々言うのだった。
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最終的にニューヨークと合わせて10年留学し、帰国した私を父はいつも密かに応援してくれていた。仕事で行き詰まった時は必ず母から電話を代わって、助言をしてくれた。放任な様で過保護だったのだろう。そしてさらに10年後、私は留学で養ったアカデミックなスキルや波瀾万丈な人生で培った共感力などを活かすべく教育コンサルタントとして独立した。
しかしやっと父を安心させられると思ったその時父はすでに認知症と誤嚥性肺炎を患っており、要介護4。コロナ禍で面会が不可能であったが、施設への入所を余儀なくされた。
料理人が口から物を食べられないと言うことは死の宣告と同等だと判断した母は、延命措置としての胃ろうを拒否し、父は日に日に衰弱していっていた。
まさに同じ頃、私は背の高い、同じく波瀾万丈な人生を歩んできたインド人の男性と出会って、トントン拍子で結婚が決まり、一緒に生活していた。
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父のアドバイスに従ったわけではないが、自然とそう言う流れになった。
6月のある日、あのマンゴーの話を夫に何気なくしていた。すると彼が、「6月は旬だから、マンゴーをインドから取り寄せようか?」と提案した。そんなことができるなんて思ってもいなかったので、とてもありがたかった。
そして数日後、マンゴーが届いた。あまりのおいしさに絶句したのを覚えている。父が何十年経ってもその味を忘れられないのが初めてわかった。箱を開ける前から芳醇な香りが家中に漂う。日本で手塩にかけて育った高級マンゴーとは違い、小ぶりで、キズもあるけども、ひとたび薄く皮を剥けば、まるでシルクのようにスムーズでジューシーな果肉が現れる。そしてその果汁が滴る実を頬張ると、マンゴーの香料をMAXにしたような薫りと強烈な甘みが口いっぱいに広がるのだ。
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すぐさまクール便でマンゴーを数個山形の実家に送った。この時、父は看取り看護に移行しており、コロナ禍でも母は面会が許されていた。
誤嚥性肺炎により固形物はもう食べていなかった父のために、母はピューレ状にしたマンゴーを持って行った。その頃父はもう反応もなく、ほとんど自力で飲み込むこともなくなっていたので、スプーンではなく、人差し指にそのピューレを絡ませて口に運んだそうだ。
するとなんと、お腹の空いた赤ちゃんが哺乳瓶に食いつくようにチューチューと吸い始めたのだ。そして目を開け催促するかのように口を開けて待っている。母が持って行った分は完食したそうだ。
そしてそれが、父がこの世で食べた最後の味となった。
これだけでも十分親孝行ができて夫には感謝してもしきれなかった。ところがさらにそれから数ヶ月後、父の遺骨を持って夫はインドへ行き、望み通り散骨をしてくれたのだった。
2024年6月、いつの間にかまたマンゴーの季節になった。今年はインド人のハーフである娘も一緒に食べるつもりだ。「おじいちゃんが好きだったマンゴーだよ。」そうして、会ったことのない2人に、小さな共通点が生まれるかもしれない。
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「山形にも一箱贈ろうか?」とインド人の夫が言う。きっと実家の仏壇は父がインドで過ごしたマンゴーの木の下のように、芳醇でトロピカルな香りで包まれるだろう。
亡くなった私の父を想う彼の優しさに触れながら、父のアドバイスもあながち的外れではなかったな、とふと思う。もちろんどこの国にも良い人とそうでない人がいる。もしかすると父を慕っていた私が無意識に、父の偏見を正解にしたくてこの選択をしたのかもしれない。
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