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生き方を決めるのは自分自身

日頃、記事中で、
生きづらさを手放す、とか、
自分を育て直す、
といった表現を多用します。

どちらも同じ事を言っています。


生きづらさの原因は、
心に、自分、が育っていない事、
自分を無価値だと思い込んでいる事、
自分を嫌っている事、
とも、度々お話ししています。

これも、同じ事を言っています。


健康的な心理状態の親に育てられた人は、
それらの事を悩む必要がありません。

しかし、その様な健やかな環境に育った人にも、生きている限り、望まない出来事は起こります。

起こりますが、その人達は、眼の前の望まない出来事に対処すれば良い訳です。

一方、心が未成熟な親に育てられた、生きづらい人は、眼の前の望まない出来事に対処する前に、

自分の心の内側で、色々な者と戦い、ねじ伏せなくてはなりません。

もっと言うなら、何ら出来事が起きていなくても、常に心の内側では、内乱が起きています。


片や、出来事が起きるまでは、自分という存在に安心感が有るのですから、余計なチカラが入る事も、また入れる必要も無いのです。

もう片方は、心の内側で、内乱が起きている状態がデフォルトです。
無価値感に追い立てられて、それを振り払い、振り払い、生きていますから、眼の前の出来事に対処する前に、疲れ切っていても不思議はありません。


短期間の事ならば、まだしも、人生という長距離走に於いて、自分として存在するだけ、で疲弊する在り方は、過酷としか言い様がありません。


人は慣れ親しんだ事柄が変化する事を、基本的には恐れます。

常につき纏う重々しい、生きづらさ、に気がついて尚、手放す事を拒む人は沢山居ます。

晴れやかな心持ちで生きていきたい、と言いながら、心配事や不平不満にフォーカスし、恨みや妬みや怒りを溜め込んで生きる人は沢山居るのです。

どの様な生き方を選ぶのも、その人の自由です。

肯定的な親から愛情いっぱいに育てられ、自分という存在に安心感を持って、人生を歩むのも、

否定的な親から、搾取される環境に育って、自分は無価値だ、という感覚を抱えたまま、人生を歩むのも、

否定的な親の下に育ったけれど、気づいて、生きづらさを手放す生き方を択ぶのも、

当人の自由であり、そこに善悪、正誤、優劣は無い、と思っています。

どんな人生を択ぶのか、は、本人にしか決められません。

何故なら私達が変えられるのは、他者の心や、起こる出来事では無く、
自分の心だけ、だからです。


逆に言うなら、どんな環境に育ち、
どんな親子関係に呑み込まれて生きた幼少期があったとしても、

自分の心の在り様は、自分が決めるのですから、

望みさえすれば、人生は選び取れる、という事だと思っています。


私達が自由に出来るのは、

自分の心だけ、ですが、

心は自由、なのですから、

生き方を択ぶのは、自分自身です。

人生を選び取るのは、自分です。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム








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