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望む人生、のスタートライン

生きづらさを手放す時、生きづらさを手放す事、がゴールではありません。

苦しいから、生きづらさを手放したい、と望むのですから、

苦しさから脱して、軽やかに活き活きと生きる事が、目指す場所ではないか、と思うのです。

そしてその、目指す場所、すら、自分の人生を軽やかに活き活きと生きる為の準備が整い、今、前を向いた状態、

つまり望む人生がこれから始まるスタートラインです。

生きづらさを手放す事は、ゴールでは無く、
活き活きと軽やかに生きる人生のスタートラインに立つ、ということだと思うのです。

スタートラインに立つ、と言うと、生きづらさを抱えている人の中には、これから戦いとか、競争とか、苦しい事が始まる様に捉える方も居られるかも知れませんが、

それは、随分とネガティブ寄りな解釈です。


人は誰もが、ポジティブな側面も有れば、ネガティブな側面も必ず持っています。

底抜けに明るい人でも、悲しみも、怒りも感じますし、

いつも暗く見えている人にも、喜びや楽しさを感じる瞬間は有ります。

ただ、感情が湧き上がっても、それをすくい上げ、感じ取る力が強い人と、弱い人が在ります。

幼い時から、自分の感情を親から肯定的に受け容れられた人は、湧き上がる感情をすくい上げる事、感じ尽くす事は、

極々自然な事であり、自然に感情を感じ尽くすうちに、益々、感情を感じ取る能力は上がります。

クルマやバイクも、エンジンをかけること無く、長い間放置したら、エンジンはかからなくなります。

感情を感じ取る事も、いつも、毎日、繰り返す事で、感度は維持され、磨かれます。


生きづらさを抱えた人は、親から肯定的に扱われた経験がありません。

常に否定的な目で見られる親子関係に晒されて生きた幼少期だったのです。

湧き上がる感情を親は否定します。
泣きたくても、親が泣きたい気持ちを否定します。

否定した上で、親は、いつも明るい笑顔を振りまく良い子であれ、という要求を押し付けます。

いつもいつも、自分の感情を否定されるうちに、その子は自分の感情を放ったらかしにして、

親の顔色を伺い、親の要求を受け容れ、親の要求通りの子供を演じる様になります。

自分の感情は放ったらかしなのですから、感情を感じ取る能力は著しく低下し、

やがてその子は、自分の感情がさっぱりわからない人になります。

むしろ、いつも否定される自分の感情は、悪いもの、だと思い、

感情が湧き上がる事を恐れます。


生きづらさを抱えて、長く苦しんだ後に、生きづらさを手放したい、と心底思うに至った訳です。

私はいつも、気づいたその事が既に尊い、と言っています。

何故なら、親から感情を感じ取る能力を奪われても尚、苦しさから脱したい、生きづらさを手放したい、と思う事は、

並大抵の事ではない、と思うのです。

その思いに辿り着いた事が、既に尊いと私は思います。


しかし、尊い気づきにたどり着いても、それでも、自分の内側から湧き上がる感情を信じる事が出来ないのです。

湧き上がる感情をすくい上げていいのか、
感じ尽くしていいのか、と躊躇します。

ずっと、自分の感情は悪いもの、
感じ取ってはいけないもの、と思ったまま、生き抜いて来たのですから、無理も無い話しです。

怖いのです。


先に触れました様に人は、嬉しい、楽しい、好き、などといったポジティブな感情を数え切れない程持っていますが、

悲しい、辛い、怖い、などといったネガティブな感情も星の数ほど持っています。

肯定的な親子関係に育ち、湧き上がる感情に何ら引っかかりを覚えない健康的な心理状態の人は、

湧き上がって来た感情が、ポジティブな感情であろうと、ネガティブな感情であろうと、

そのまますくい上げ、感じ尽くします。

ところが、否定的な親子関係に晒された人は、自分の感情を、悪いもの、感じ取ってはならないもの、と思い込んでいます。

自分の中から感情が湧き上がった時点で、それがポジティブであろうとネガティブであろうと、感じ取ることを親から禁じられたものである為、

親に背く、悪いことをする、という言わば、恐怖や罪悪感といったネガティブなバイアスがかかってしまいます。


その人に、感情を持つ事を禁じたのは親ですが、親に、そんなだいそれた事をしたという意識はありません。

しかし、感情の動物から感情を奪い取るのことは、破壊的メッセージを送ること、なのです。

お前は感じるな、
お前はお前であるな、
お前は存在するな、

という、メッセージをずっと浴びせられたその人が、

感情が動く度に、ネガティブなバイアスがかかってしまうのは、致し方無い事です。

生きづらさに気がつく、という不可能を可能にする程の尊い気づきに至っても尚、

望む人生のスタートラインに立つ事が出来る、という時にも、

スタートを切ったら、大変な事になるんじゃないか、とてつもない苦しみが待っているんじゃないか、というネガティブなバイアスが掛かります。

その時、思い出して欲しいのです。

その恐怖は、単なるネガティブな思い込みである、ということ、

破壊的メッセージを浴びせられても、生き抜いた自分は本当は強い、ということ、

望む人生のスタートを切ったら、待っているのは、初めて見る自由な景色である、ということ、

思い出したら、息を整え、踏み出して下さい。

これから、始まります。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム


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