見出し画像

自分の感情と他者の感情の切り分け


記事を書く上で出来るだけ、生きづらい人の心、に焦点を絞ることを、肝に命じています。

生きづらさ、は、苦しむ人の心の中で起きること、ですから、

生きづらい人が、自分自身と向き合うことでしか、解放は無い、と考えていて、

焦点が、親や他者にまで拡大されると、自分の心と向き合うこと、が、ボヤけてしまい、

それがいつしか、生きづらさを手放すこと、から離れてしまう様に感じています。

勿論、生きづらさの原因は、余程のレアケースで無い限り、幼少期の親子関係にありますから、

生きづらい人が、生きづらさを手放す決意を固めて、自分と向き合う際、親子関係にも、幼少期にも、そして心の傷にも触れる事になります。

しかし、幼少期の親子関係は、生きづらい人が、生きづらさを背負うに至った最重要な、出来事、です。

最重要であっても、過ぎ去った、過去の出来事、なのです。

生きづらい人が向き合うべきは、自分、です。

最重要であっても、親子関係は自分の人生に起こった、出来事、であり、
親は自分の人生の、登場人物、なのです。

生きづらい人は幼少期に一人の人として、尊重、された経験が無く、
親の従属物として親から、所有、されました。

だから、その人にとっては、本来自由な自分だけの領域である筈の、心、は、

親が好き勝手に立ち入る事が出来る、親と自分の、共有スペース、だった訳です。

そんな親子関係しか知らずに育ったのですから、
その人は、親の感情と自分の感情を、
更には、他者の感情と自分の感情を分ける事が苦手です。

その為、生きづらさを手放す決意を固めて、自分と向き合っているつもりが、

親をメインに据えて、親子関係、や負の連鎖が連綿と続く、家系、を見つめ、
自分の心に目が向きません。

あの時、親は子供の愛し方が解らず、仕方が無かった、と親の心情や事情を優先します。

更に、心療内科のドクターや心理カウンセラーや個人的なメンターに、
心酔したりこきおろしたりする事に忙しく、
肝心の自分の心と向き合うことが、疎かになりがちです。

自分の抱える問題と、
親、家族、恋人、友人、相談を持ちかけた相手、ドクター、カウンセラーなどといった、他者の事がごっちゃになってしまう傾向があります。

これは幼い頃から心が、自分だけの自由な領域ではなく、
親が勝手に踏み入ることが出来る、共有スペース、だったことによって、

自分の感情と他者の感情を分ける、心理的な境界線、が極めて曖昧な状態である為に起こります。

頭では、自分は自分、他人は他人と理解していても、
感情では自他が切り分けられていない為、どうしても自分の問題と、他者の問題が、ごっちゃになってしまうのです。

その人がどんなに知的な水準が高く、思考力に優れ、語彙力が有る人であっても、
自他の感情を切り分けられないと、自分の事と他人の事が混ざり合ってしまいます。

心理学者アルフレッド・アドラーが言う、自分の課題と他人の課題の切り分けが出来ません。

生きづらさを手放す為に、カウセリングを受けているのに、

私の身内は皆口を揃えて、こう言います、
配偶者は、こう言います、
友人は、子供は、恋人は、
参加したセミナーでは…、

その人は、その様に言いますが、それらは全て他者が言ったこと、他者が感じたこと、です。

生きづらさを手放す為に、
自分の心と向き合う為に、
カウンセリングを受けているのであって、
他者がどう思い、何を言ったのかは、自分を取り巻く出来事の一つ、です。


生きづらさを手放す決意を固めた人は、真剣です。

しかし、自分と向き合っているつもりで、自分の感情を見失い、他者の発する言葉や他者の心情を拾い集める事を繰り返してしまう場合は少なく無い、と感じています。

自他の心理的な境界線が曖昧であることに、気がつかない限りは、自分と向き合っているつもりで、

自分の心に侵入して来た他者、或いは自らが招き入れた他者に知らず知らずのうちに、フォーカスを当ててしまう状態が続いてしまいます。


生きづらい人が、自他の感情を切り分ける事が苦手な理由は、前述した通りですが、

その状態のまま、闇雲に自分と向き合おうとしても、なかなか思うに任せません。

先ずは向き合うべき、自分、を明確にすることが大切だと思っています。

更に言うなら自分が、自他の感情を分けるのが苦手である、と自覚することが、出発点であると感じています。

自分が、自分の内面を語るべき場面、に於いて、

他者の考え、感情、言葉を語っていないか、が重要な意味を持つ、と考えます。

自覚することは、易しくは無いですが、注意深く自分の思考を見据えることで、必ず見つけ出すことが出来ますし、

そうやって、自分の心の在り様に、一つ一つ目を向ける事こそが既に、

自分と向き合う、という事なのです。

生きづらさを手放す決意を固めた人は皆、見たくない心の傷を見据えようとする勇敢な人です。

その勇気が余すことなく自分と向き合う方向に注がれた時、

生きづらさは溶けて流れます。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?