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私は子どもが嫌い

子どもって眩しいなぁ、そう思うんです。

笑ってる子、
泣いてる子、
大きな声をあげてる子、
ひそひそ話をしている子、

駆けてる子、
跳ねてる子、

座っている子、
拗ねてる子、

どの子も、光りを放ってます。


子ども達の光りに気がついたのは、そんなに昔のことではありません。

気づく前、私は子供が嫌いでした。
嫌いなのに、子ども好きな風を装ってました。

子ども好きを装っていた理由は三つ、

その方が他人から良い人と思われそうだから、

親がそういう絵に描いた様な、分かり易い善人を好むから、

自分は何の価値も無い酷い人間、恥ずべき存在で、本心を外に出してはならないと思い込んでいたから、

その三つの理由から、私は子ども好きを演じていました。

親類の子や友人の子と、色んな場面で積極的にコミュニケーションを取りました。

全力で笑わせ、楽しませました。

だって、子ども好き なんですから。

内心では、慣れて来ると調子に乗る子どもが鬱陶しかったのです。

本当は、甘える子どもに辟易していたのです。

今思うと、なんと不自然で、なんと無駄な努力なんだろうと思います。

でも、当時は何かから急き立てられる様に、子ども好き を演じていました。

その方が良い人に見えるから、
その方が親の望む姿だから、
その方が自分を隠せるから、

だから演じて、
決まって疲弊してました。


子ども好き を演じることと同様に、
優しい人を演じ、賢い人を演じ、
強い人、優れた人を演じ続けた私は、本当に疲れきって、ある日突然、動けなくなりました。

動けなくなって初めて、自分はとてつもなく、生きづらかった ことに気がつきました。

どうして生きづらかったのか?
いつから?
原因は?

自分と向き合って、
様々な気づきを重ねて、
「生きづらさ」を手放した、と思える様になりました。


もう殊更に、演じようとは思わなくなりました。
優しい人、賢い人、強い人、優れた人のフリをすることを止めました。
勿論、エセ子ども好きからも卒業しました。

子どもが嫌いだ、ということを認めてから日も浅い休日、

歩いて近所の公園に差しかかった時、遊ぶ子ども達を眩しく、尊く、愛おしく感じている自分に気がつきました。

子ども達の、笑い声、遊ぶ様子に暖かい何かを感じました。

その時確かに 光り を見ました。


あぁ、溶けたんだな、と思いました。

幼いとき、
自分の感情はすべて放ったらかしにして、親が望む子どもを必死で演じました。

はしゃぎたくても、親が望むなら、大人しい良い子を演じました。

泣きたくても、親が望んでいると察すると、泣かない強い子になって見せました。

甘えたくても、甘え方を知らないし、自分が甘えたいと思っていることに、気がついていなかったと思います。

そうしなければならない環境でした。
そうなってしまう家庭だったのです。


大人になった私は、
子どもがはしゃいでいる樣が嫌いでした。
親にしがみついて、甘える様子が不快でした。

それでも、
良い人に見られる為に、
親が望む大人である為に、
自分の本性を隠す為に、
子ども好きのフリをしました。


でも、止めたんです。

子どもが嫌いだということを認めました。

子どもが嫌いな自分を受け入れました。

とても楽になりました。


すると、色んなことが分かって来ました。

私は子どもが嫌い、どころか、憎んでいたんです。

幼い日、
はしゃいでみたかった、
甘えてみたかった、

でも、叶わなかった、
ただの一度も叶わなかった。

大人になって、目の前ではしゃぎ、甘えている子どもが、
羨ましくて、妬ましくて、憎かったのです。

それは、周囲には知られてはならない感情だから、隠しました。

そればかりか、自分をも騙していた様に思います。

その認め難い感情を、包み隠さず見つめ、

「そのままでいい」
「それが自分」

と受け入れることが出来た時、

肩の力が抜け、楽になりました。


そして、公園で遊ぶ子ども達に、光り を見て、愛おしく思っていることに、驚くと同時に、

ずっと抱えて来た恨みの感情が、溶けて流れたことを確信しました。


どうしても認めることが出来なかった、忌み嫌って来た感情を、

自分の一部分として受け入れることが出来た時、

好きなフリをするのでは無く、
羨んで、妬んで、憎むのでは無く、
眩しく、尊く、愛おしく感じることさえあるのだと知りました。


自分が自分自身にさえ隠す程、

忌み嫌っている感情を受け入れることでしか、

それを乗り越えることが叶わないのは、

逆説的だ、とも思いますが、

心のこと は、

変えよう、変わろうとすると叶わず、

そのままの自分を受け入れた結果、

苦しみは溶けて、

自然と 変わる 様なのです。


憎む、自分を受け入れ、

子ども達の 光り を見つけるに至ったことに、

大きな喜びと満足と感謝を感じています。



読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム

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