来る者拒まず、去る者追わず?
「来る者拒まず去る者追わず」
よく耳にする言葉です。
先入観を持たず、相手を尊重すればこそ成り立ちます。
来る者を一人の人として認めるからこそ、近寄る自由を認めます。
去る者を一人の人として尊重すればこそ、離れる自由を認めます。
先入観を持ってジャッジして、相手が自分に近寄る自由を認めず、拒んだなら、自ら、出会いの機会を狭める事になってしまいます。
去ると決めた者を引き止めたなら、相手に気持ちを曲げる事を求め、自分の要求を押し付ける事になります。
「来る者拒まず去る者追わず」という短い言葉は、
先入観に縛られない事、他者をコントロールしない事、等が大事であると読み取る事が出来ます。
要は、対人関係は尊重する事が根幹であり、人がコントロール出来るのは自分の心だけである、という、
大切な事が織り込まれている様に思います。
それだけ、人間関係の機微が現れるのが、出会いと別れ、のシーンなのでしょう。
そして、来る者拒まず去る者追わず、の境地に至ることが、尊重を知る成熟した心に至る事と、同義である様にさえ思えます。
本記事で着目したいのが、この言葉の前半部分、
「来る者拒まず」です。
触れた様に、心理的、情緒的に成熟を見たならば、「来る者拒まず」の構えになる事が、より人間関係を豊かなものにするでしょう。
その反面、心理的に未成熟でありながら、来る者を拒まない為に、人間関係を苦しいものにしてしまう人は少なく無い様に感じています。
未成熟な心には、確かな【自分】という意識が育っていません。
確かな【自分】という意識、が育っていない人は、自分と他人の感情を分ける心理的境界線が不明瞭な状態です。
ここからは他者の侵入を許さない、という心の安全地帯が無く、いとも簡単に他者の侵入を許してしまいます。
成熟した人の心には自分だけの安全で自由な領域が有ります。
しかし、未成熟な人の心には、鍵がかかっておらず、他者から入り込まれたり、或いは、自ら招き入れて、
心を他者に占領されてしまいます。
その人の心に鍵がかかっていないのは、昨日今日始まった事では無く、
生まれた時から、ずっと鍵はかかっていなかったのです。
その人の親から鍵をかけることを禁じられていたからです。
親は、その人を一人の人として尊重する事が出来ない人でした。
親はその人を自分の所有物だと思っていました。
その人が自由に感じる事を嫌いました。
その人が感情を持つ事を禁じました。
禁じる為には、その人の心に入り込む必要が有ります。
だから、鍵をかける事を禁じ、自分がいつでも入り込んで、その人をコントロール出来る様にしたのです。
心の鍵は前述した、確かな【自分】という意識、に掛けられているのが本来の形ですが、
親から、鍵を掛ける事を禁じられたまま生きて来たその人は、いとも簡単に他者の侵入を許してしまいます。
たとえば、よく行くコンビニやスーパーの店員さんにすら、どんな態度を取ったらいいだろうか?と思ったりします。
よく行くから、店員さんの顔は覚えています。
なまじ覚えているから、どんな態度を取ったらいいか悩む訳ですが、
この時点でその人は、心に店員さんを自ら招き入れています。
心に【自分】があって、自分はこういう人間、という感覚が有る人は、
その感覚に従って、自然に振る舞うだけですから、会釈した方がいいか、無表情で会計だけ済ますか、などという事に気を揉みはしません。
この知り合いとも言えないけれども、顔は知っている程度の距離感が苦手である場合は、心に鍵が掛かっていなくて、安全地帯の扉が半開きになっている人の特徴が現れている様に思います。
そんな扉がただでも半開きな人が、人を分け隔ててはならない、とか、誰にも平等に接しなくては、と、
「来る者拒まず」の構えになると、鍵の掛かっていない扉は全開になってしまい、いつも誰かが入り込み、いつも誰かに心を明け渡している状態に陥ってしまいます。
「来る者拒まず去る者追わず」の境地に至る事は、自分も他人も尊重する事であり、
そう在る事が、軽やかに活き活きと生きる事に直結する様に思います。
しかし、それは今生きづらいならば、生きづらさを手放し、自分の人生を軽やかに歩み出した時に、
自然と「来る者拒まず去る者追わず」という人付き合いの構えが出来る様になるのだと思うのです。
心に、確かな【自分】という意識、が育っておらず、心の安全地帯の扉は無防備に開いているにも関わらず、
闇雲に他人に近づいては、傷ついている人は多い様に思います。
過去の記事の中でも触れている事ではありますが、
同じ言葉が、受け取る人の心の状態によって、薬にもなれば毒にもなる、と感じています。
知ることが全てだとは思いませんが、
知る事は全ての始まりだと思っています。
自分の心の細かな部分まで紐解こうとする事は、
心の成熟には欠かせません。
ひとつ成長する毎に、
必要な言葉は変わります。
必要な言葉を探し当てるには、
自分を知る事が大切だと思うのです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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