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他者からの評価、の奴隷

他人から好かれること、
眼の前の人から高く評価されること、
周囲から一目置かれること、

知らず知らずのうちに、そんな事が人生の目標になっている人は、少なくありません。

これ程、自分を縛り、自分を苦しめる観念は無い、と思うのですが、

他者からの評価の奴隷になる人は沢山居ます。

誰しも、他者から好かれたいですし、高く評価されたい、という願望は潜在的に持っている、と思います。

人間を群れを成す生き物の一種、と見るならば、
他者の好意を集めて身の安全を担保したいでしょうし、
他者よりも優位な立ち場に立っていたい、という感覚は有って当たり前です。

しかし、それが人生の目標になってしまっては、苦しみを抱えることになってしまう様に思います。


他者から好かれたい、他者よりも優れたい、という欲求は、誰にも有る、と言いました。

誰にも有る、ということは、それは人間にとって根源的、原始的、そして幼児的な欲求と言えるでしょう。

その欲求を100%手放している、と思える人を、私は個人的には知りませんし、また、完全に手放す必要も無い、と思っています。

私が迷うことなく尊敬するに値する、と思う人物であっても、

お話しする中で、私が素直に表した敬意や好意に、相好を崩される様子を目にすると、

人間らしさや、失礼かも知れませんが、可愛らしさすら感じます。

根源的、原始的、幼児的な欲求は、時に、人の魅力を際立たせる、と思うんです。


他人から好かれたい、他人よりも優れたい、という、根源的な欲求は、

拭い去ることは出来ないし、拭い去る必要も無い、と考えます。

しかし、自分にはそういう欲求が有る、と自覚することは大切だと思うのです。

つまり、その欲求を、愛すべき自分の一部分、と受け容れた時、
それは関わり合う他者には、その人の魅力、可愛らしさ、として感じられる様に思います。

そして、自分の中に、他者から好かれたい、他者より優れたい、といった欲求が有る、と受け容れた時点で、

その人は、その欲求に、呑み込まれること、振り回されること、が無くなります。


欲求は無意識の領域から湧き出します。
その欲求を自分の一部分として受け容れる、ということは、

無意識の領域、というフロアに散らばった欲求を拾い上げ、
意識というテーブルに載せ、並べて眺める、ということです。


他者から好かれることや、優れることの奴隷になってしまい、あたかもそれが人生の意味、とまで思える人は、

一度、無意識のフロアに雑然と散らばった、それらの欲求を拾い上げ、

意識のテーブルに並べて眺めた上で、それが人生の目的として、自分にとって相応しいかどうかを考えてみる、一手間を掛ける事も必要な気がします。

意識のテーブルに並べた欲求を、よく眺めて尚、

自分は生涯、他者から良く思われる為、或いは、他者よりも優れる為に生きる、と決めたなら、

それは、その人が選び取った、その人の人生なのですから、

それで構わないと思います。


いつの間にか、他人から好かれること、他人より優れることの奴隷になっている人は、

無意識のフロアに散らばったものを、意識のテーブルに並べること無く、無造作に人生を歩んでいる、と言えます。

要するに、無意識に衝き動かされ、
知らず知らずのうちに、
無意識の奴隷になっている、と思うのです。

無意識に衝き動かされる、という状態は、
仮にその人が、周囲から見て、実にアクティブに動き、他者よりも優れる為に、能動的に生きている様に映ったとしても、

心理的には、無意識に衝き動かされるままに行動している、極めて受動的な心理状態なのです。

人は無意識に散らばったものを、意識に上げることで、認識し、

認識出来たことで、選択肢が並び、

その中から選び取る時、能動的な心理状態、と初めて言えます。

そして、能動的な心理状態になること抜きに、真の満足感、充足感、は得ることが出来ません。


たとえば、仕事中毒のサラリーマンが心身共にクタクタなのに、休み無く働いている姿は、事情を知らない他者から見たら、能動的な人、に映ることすら有るかも知れません。

しかし、その人は無意識に衝き動かされている状態であり、選択してもいなければ、満足してもいないワーカホリックです。


このところの激務でクタクタな自分を認識して、これ以上はマズい、と仕事を休む選択をした人は、傍目には消極的な人、に見えるかも知れませんが、意識して、選択したその人は、満足を知る、能動的な心理状態の人、かも知れません。


勿論、仕事を放棄すれば良い、という話しではありませんが、
己を知るにも、満足するにも、

どんな選択肢が有るのか、を意識のテーブルに載せて、見定めた上で、
選び取ることが、

能動的に生きる、という事であり、

生きることに、満足する秘訣とも言える気がしています。

無意識のフロアに雑然と散らばった欲求、願望、衝動などを、

意識のテーブルに載せ、並べて眺め、見定めることで、

無意識に衝き動かされ、無意識に呑まれることは随分無くなります。

自分が自分であることを助けます。

他者からの評価の奴隷になることを思い留まらせてくれます。

人生が自分のものになる、

と思っています。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム









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