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責める癖

生きづらさを手放したら、色んな事が見えて来ます。

驚く事は山程あります。

その驚く事のひとつに、

責める癖、があります。

生きづらさを手放した時、自分がこれまでどれ程、自分の事を責めに責めて生きて来たのか、という事に驚きます。

軽やかな心で生きる人は、こんなに自分を責める事が無いのか、と驚きます。

自分が自分を責める時、
人は逃げ場を失い、
自分で決める事が怖くなりますし、
行動する事が恐ろしくなってしまいます。

人生から、自分の意思で物事を決め、自分の意思で行動する事を奪われたなら、
その人生は誰の人生なのか分からなくなってしまいます。

生きづらさ、とは、自分として自分の人生を歩む事が出来ない不全感、と言う事が出来る、と思うのです。

生きづらい人が、自分を責め苛む様になる原因は、
余程のレアケースを除いては、幼少期の親子関係に有る、と言い切って構わないと思っています。

その生きづらい人の親が、子供を責める人、だったのです。

その親自身も、自分を嫌い、自分を責め苛む人だったのです。

自分を嫌い、自分を責める事は、心の中の出来事です。

自分の心の中で繰り広げられる出来事からは、逃れたくても逃れる事が出来ません。

その親は自分を責める事から逃れたかったのです。

自分を責め苛んで永く苦しむ中で、親になります。

赤ん坊は、か弱い存在です。
赤ん坊一人では生きて行けない事は純然たる事実です。

一人では生きる事が出来ない赤ん坊に与えられた唯一の能力が、親を慕う能力です。

赤ん坊は親を慕い抜く能力を頼りに、やがて一人で生きる事が出来る様になるまでを親に守られ、生きるのです。

心が成熟した親であれば、慕う我が子を愛おしく思い、守ろうとします。

親を慕い尽くす子供と、子を愛おしく思い守る親、であればこそ健やかな親子関係が成り立ちます。

ところが、親の心が未成熟だと、親を慕って止まない子供の姿が、絶対服従の姿勢に見えてしまいます。

子供を一人の人間として尊重する事は無く、
自分を慕う、か弱い守るべき存在という認識も持てません。

自分を責めに責めて永く苦しんだその親にとって、生まれて初めて手に入れた、逃げ場、が、絶対服従の我が子なのです。

つまり、これまで自分を責めて苦しんでいたその親は、子供を責める様になります。

いつもいつも自分を責めていた様に、今度は子供を責め抜きます。

子供を責めている限り、自分は苦しまなくて済みます。

苦しむのは、子供です。

その親は、自分の苦しみを、自分で解決する事は無く、そっくりそのまま子供に背負わせる、という事です。


子供を責める、と言っても、現れ方は多岐に渡り、

直接的に責め立てる場合もあれば、

過保護や過干渉によって、子供に親が居なければ何も出来ない、という感覚を植え付けたり、

無関心によって子供に、親から無視される程、自分は取るに足りない存在だ、と思い込ませたりする事もあります。

いづれにしても、子供は、自分は何も出来ない、と思い込んで、そんな自分を責めます。

自分は取るに足りない存在だ、と決め込んで、自分を責めるのです。


そんな環境に育ち、毎日毎日責められるうちに、その子は親から責められなくても、常に心の中で、自分を責める様になります。

先に触れた様に、自分で自分を責める時、逃げ場がなくなります。

心の中で繰り広げられるのですから、逃げられません。

ちょっとした失敗や躓きも、「ま、いいか。」とおおらかに受け容れる事が出来ず、失敗した自分を責め苛みます。

自分を責める癖がある人は、他人も責めます。

自分で自分を責める苦しさから逃れたい人は、自分より弱い存在、自分より弱い立場の他者を責めます。

前出の親がその典型例です。

弱い我が子が自分を慕う姿を、絶対服従の姿勢である、と認識して、

自分の苦しさを押し付けて、自分が軽くなる訳です。

親子でなくても、自分を責める人が、自分より弱い存在を見つけると、その弱い存在を責め苛みます。

それが、学校や職場に於けるイジメです。

自分を責める人が、家庭内に自分より弱い存在を見つけたら、虐待が起こりますし、

学校や職場で見つけたら、イジメになります。


生きづらさを手放したら、見えて来るものは沢山有ります。

自分で自分を責める事が、どれ程自分を苦しめていたのか、が全部見えて、

小さな失敗、些細な躓きに、打ちひしがれていた自分は、なんと苦しい生き方をしていたのか、と愕然とします。

充分な愛情を注がれ、健やかな心を手に入れる事が出来た人が、
「ま、いいか。」と軽く受け流す様な出来事に、

いちいち打ちのめされ、悲しんだり、怒ったり、恨んだりしていた事に先ず驚きます。


生きづらさに気がついて、自分と向き合い始めた頃には、

自分がそんなに自分を責めているという事には、気がつき難いと思います。

ずっとずっと責め苛んで、それが当たり前の状態であり、
その在り方しか知らないのですから、気がつく事が難しいのです。

生きづらさを手放す頃には、自然と見えて来る事ですが、

今からでも、決して自分を責めない、と決める事は、

随分心を軽くしてくれるのではないか、と思うのです。

「ま、いいか。」

そう思える機会を増やして欲しく思います。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム











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