「変えよう」と思わず、訪れる「変化」を受け入れる
全てが順調、絶好調のとき、余程しっかりした人物でないと、多かれ少なかれ調子に乗ってしまうものです。
そんな浮かれた状態で自分と向き合える人は稀でしょう。
人が、自分と向き合おう、と思うのは自分の中に何らかのネガティブな影を見つけた時だろうと思います。
多いのは、子供時代からずっと重々しい感覚を感じていて、
それが年齢を重ねる毎に、辛くなり、耐えられなくなって、
自分の内面を探り始める場合だと思っています。
こういった場合、とにかく「生きづらさ」から逃れたい訳です。
切実なのです。
そして、自分と向き合います。
心の傷を探ります。
探ってみれば大半は幼い頃の親との関係性に行き着きます。
幼少期は親から肯定的に受け入れられることによって、「自分には価値が有る」という感覚を育むべき時期です。
しかし、この時期に、否定的に扱われ、自分の感情を捨てて、親の望む子供になることを強要される人もいます。
はしゃぎたいのに、おとなしい良い子になります。
泣きたいのに、明るい良い子になります。
いつも良い子は、いつも我慢している子なのです。
我慢して、親が求める良い子になって見せたとき、
自分の本当の感情の、はしゃぎたい、泣きたい、は無くなってしまったのでしょうか。
いえ、無くなることはありません。
はしゃぎたい気持ちは無かったことにされて心の奥底に放置されます。
泣きたい感情は蔑ろにされて心の奥底に転がされます。
良い子は毎日毎日、本当の気持ちを心の奥底に溜め込みます。
幼少期は、本当は人生で唯一、親の顔色や周囲の空気とは関係なく、素直な感情を表現し、それを肯定的に受け入れられるべき時期なのです。
そうすることによって、この子は「自分には価値が有る」という感覚を育てることが出来、
その感覚は人生の土台となります。
逆に、自分の感情を捨て、親の望む子供になったときだけ受け入れられる環境に育つと、
「自分には価値が無い」という感覚がこびりつき、それは、やがて「生きづらさ」を生み出します。
そうして作り出された「生きづらさ」を手放そうと、自分と向き合い始めたとき、
この生きづらい自分を変えたい、と思ってしまいます。
自分と向き合い始めたのは、自分を変えたいから、では無く、
「生きづらさ」を手放したいから、だった筈です。
自分を変える、ということは、幼少期と同じ様に今の本当の自分を抑え込んで、
かつて良い子になって見せた様に、今また良い人になって見せようとしていないでしょうか。
この段階で、
妙に物わかりの良い人になろうとする人がいます。
飛び抜けて優しい人の様に振る舞う人がいます。
人格者に、博愛主義者に、正義の味方になろうとする人がいます。
とても多いのが、
「生きづらさ」を手放す為に、
自分と向き合い、心の傷を探り、原因である幼少期の親との関係性に辿り着きながら、
「確かに親は虐待したが、あの頃の親には親の事情が有って、仕方が無かった」
という落とし所に落ち着いてしまう人が少なく無い様に思います。
そこに落ち着けば、
親は「仕方が無かった」のですから悪くありません。
自分は物わかりが良く、優しい子供でいられます。
では、
誰が我慢するのでしょうか。
誰が犠牲になるのでしょうか。
それは、幼い頃の自分です。
泣きたいのに、本当の感情を諦め、笑って見せていた幼い頃の自分に、
今度は、悔しくて、悲しくて、怒っているのに、本当の感情を捨てて、
物わかりが良くて、優しい子供になって見せることを、
大人になった自分が求めているのです。
「生きづらさ」を手放す為に、自分と向き合う今、
目指すべきは、
物わかりが良くて、優しい自分に変わることではなく、
幼い頃に閉じ込めた感情を感じ尽くし、解放することです。
はしゃぎたかった、
泣きたかった、
我慢した、
悔しかった、
悲しかった、
それらの閉じ込めた感情を感じ尽くし、解き放つこと、
それが、「生きづらさ」を手放す方法だと考えます。
変えようと思うのは、方向が違う様に思います。
閉じ込めた感情を感じ尽くす、
つまり、本当の感情を変えること無く、そのまま感じ尽くす、
そのままの自分を認めるということだと思います。
幼い頃、否定せざるを得なかった感情は、子供としての自然な感情で、
なにも悪くなんか無かったと、大人の自分が認めてあげるのです。
そうやって、閉じ込めた感情を解放し、「生きづらさ」を手放した後に、
優しい自分に変化するかも知れませんが、
それは「変えよう」としたのではなく、
解放した結果、自然と「変化」したものです。
変化する前も、自分自身、
変化した後も、自分自身です。
「生きづらさ」を手放すことを望むとき、
「変えよう」と思うことは、方向が違っています。
用心深く見極めて、本当の自分の感情を感じ尽くして欲しいのです。
そうした後に訪れる「変化」を受け入れて下さい。
苦しみの日々は長くても、
気づきのときは一瞬で、
それは、必ず訪れます。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
NAMIDAサポート協会カウンセラー
伴走者ノゾム
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