他人に、過剰に期待する心理
自分の気持を他者は、わかってくれる筈だ、という感覚に支配されると、世の中は途端に不満にだらけの世界になります。
出会う人は、薄情者や裏切り者や無礼者ばかりになってしまいます。
話せばわかる、などという言葉がありますが、実際には、話せばわかる人もいれば、わからない人もいます。
わかる場合もあれば、わからない場合もあるのです。
わかり合える人も、わかり合えない人もいるのが、現実なのに、
必ずわかり合える、と決め込んで生きていたら、その人は、年がら年中傷ついてばかりになってしまいます。
他者に対する期待が過剰なのです。
誰しも、時として他者に過大な期待をしてしまう事は有るでしょう。
しかし、思わず、過大な期待を他者に向けた挙げ句、その期待を裏切られた時、
その人の心の成熟度が測られます。
勝手に期待を膨らませた自分がまずかったな、と自らを戒めながらも、それも一つの経験と思える人が、成熟した人、と言えるのではないでしょうか。
心が未熟な人は、期待を裏切られた自分には、価値が無い、という感覚に打ちのめされる場合と、
期待を裏切ったアイツが悪い、と相手を恨み、憤る場合が有る様に思います。
自分を責める場合と相手を責める場合が有る訳ですが、
どちらも、過大な期待通りに事が運ばなかった事によって生み出される一次的な感情は、
期待を裏切られた自分は無価値だ、という感情です。
その無価値感のままに自分を責めるか、
自分を無価値に感じたくなくて、相手に怒りを覚えるという二次的な感情を発生させるか、という違いはあれど、
最初に湧き上がる感情は、どちらの場合も無価値感です。
先に述べた様に、心理的に成熟した人であっても時に、他者に過大な期待をかけてしまう事はありますが、
それが時々では無く、常態になると、その人の人生は、腹立たしい事、辛い事、が次から次に訪れる人生になってしまいます。
その人は、自分の心が未成熟だとは思っていません。
その人にとっては何故か、自分の気持ちを汲んでくれない人ばかりに出会い、
そのせいで、自分の人生が苦しいものになってしまっている、と感じられています。
しかし本当は、自分自身が、周囲に過大な期待を寄せては、裏切られる度に傷ついて、怒って、苦しんでいるのです。
その心理常態は、独りよがりとも言えるでしょうし、
独り相撲を取っている様なものです。
では、どうして、他者に過剰な期待をかけてしまう心理になるのでしょうか。
キーワードは二つあって、先に触れた、無価値感、と、
それから、未消化の幼児的願望、です。
この人は、無価値感に苛まれる、心理的に未成熟な親の下に生まれ育ったものと思われます。
無価値感に苛まれる親は、子供を自分自身が無価値感から目を逸らす為の道具にしてしまいます。
子供をこき下ろして、自分の価値が上がった様に錯覚したり、
子供の尻を叩いて、世間に優れた子供の親として賞賛される事を追い求めたり、
自分が執らわれている無価値な思い込みから目を逸らす為なら、何でもします、いや、子供を際限なく最大限に利用します。
ありのままの子供を肯定的に受け容れる事は無く、子供を否定し、自分の感情、要求を押し付けます。
子供は、ありのままの自分を否定され続けるうちに、自分には価値が無い、という無価値な思い込みを、心に刻み込んでしまいます。
自分を無価値だと思い込んだ人は、自分を信用する事が出来ません。
自分を信用出来ないから、他人をあてにします。
他人に過剰に期待します。
無価値な自分は信用するに値しないから、他者を頼りにするしか無いのです。
無価値感に苛まれる、心理的に未成熟な親は、
述べた様に、自分が抱える無価値な思い込みから目を逸らす事に必死で、
子供を一人の人間として尊重する事が出来ません。
親があの手この手で、自分の感情を子供に押し付けるという事は、
子供の感情を、親が受け容れる、のが本来の親子関係ですが、
ここでは、親が感情をぶつけて、子供が受け容れる側に回る、という、親子の役割りの逆転が起きています。
子供は、子供らしい感情の全てを否定されます。
泣きたくても、親が望めば笑い、はしゃぎたくても、親が望めば、大人しくします。
甘えたくても、親が子供に心理的に甘えているのですから、甘える事が出来ないばかりか、親の甘えを無条件に受け容れます。
その子は、子供らしい甘えの感情の全てを心の奥に閉じ込めて、親の甘えを受け容れ続けます。
感情は、感じ尽くす事でしか、消化されません。
心の奥にうず高く積み上がった未消化の感情、未消化の幼児的願望は、やがて、生きづらいその人を、内側から突き動かす事になります。
子供らしい甘えが一切許されない幼少期を過ごしたその人は、甘えたいのです。
内側から衝き動かされ、他者に過剰な期待をします。
つまり、他者への過剰な期待は、形を変えた甘え、未消化の幼児的願望です。
その人に自覚はありませんが、他者に寄せる過剰な期待は、
言わば、他者に母親の様な愛情と、受け容れを欲しているのです。
他者に過剰に期待する心理を、
無価値感、未消化の幼児的願望、という二つのキーワードから紐解いてみましたが、
これは、決して独立した二つの問題では無く、
密接に絡み合っています。
生きづらさを手放す決意をされたなら、
自分と向き合う際、
色んな角度から、眺めてみる事は大切だと思っています。
挙げた切り口が、生きづらさを手放すヒントになる事を切に願います。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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