オランウータンに思うこと。
オランウータンという霊長類がいる。
彼らは、生涯のほとんどを1人きりで生きる。
それが、彼らの生き残る為のすべだからだ。
人類は、昔は、狩猟や、農業をする為、
または天敵となる猛獣と戦う為に、、
つまり生きる為に大勢のコミュニティーを
作らないといけなかった。
大勢でコミュニティーを築くには、
ルールが必要だった。
それは、宗教だったり、政治だったりする。
生きる為に、会社を作ったり、仲間、友達を作り、、
家族という血縁関係でさえ、
法律という縛りを作らないといけなかった。
人類が生きていくために。
では例えば、誰にも頼らずに生きていける方法があったとしたら、僕らは仲間を作っただろうか?
村を、国を、宗教を、法律を作っただろうか?
これからは個の時代とと呼ばれている。実際に1人きりでも生きていける方法はいくつも存在する。
時代は、大勢で共に生きる意味を
失ってきている。
命を狙う猛獣もいなければ、寝る場所も、
食べ物も1人で手に入れることができる。
1人で生きていけるなら、
仲間も法律も宗教も必要ない。
むしろ、大勢でいることで争いが起き、
人そのものが命を奪い合う敵となる。
一生を高い木の上で過ごす、オランウータンには
天敵となる猛獣はいない。
さらに、オランウータンが住む森には、食べ物となる木の実がほとんどない。
なので、群れるとその実を奪い合って
争いが起きるかもしれない。
だから、あえて距離をおいて離れて暮らす。
群れると生きていくのが難しくなるのだ。
生きる為に、群れることを選んだ人間と、生きる為に孤独に生きることを選んだオランウータン。
これは、どちらも進化の結果だと思う。
人間の祖先がオランウータンだったら、法律も政治も存在しない、他人のことなど気にもしない世界になってただろうな。
最近、テレビを見ながら、ふと思った。
人類はコミュニティーを作ることで、
生存してきたのは揺るぎない事実だ。
でもそれは、未来永劫続いていくのだろうか?
この先も、人が人を縛らないと
人類は生きていけないのだろうか?
人類は、次の進化のする時が
近づいているんじゃないか?
『世間の目』っていうコミュニティーを
維持する為の戒めの言葉は、、
1人で生きていけるなら、不要な言葉だ。
我々は、選択できる時代がきたんだと思う。
大勢のコミュニティーで
戒めやルールの中で暮らす人生。
と
何にも縛られずに1人で暮らす人生を。
だからさ、1人で生きていけると思ったら
1人で生きてもいいんだよ。
誰かが何か言ったってさ、1人で生きていけるなら
気にしなくっていいんだよ。
みんなと違うからとか、
こんなことしちゃいけないとか、
戒めやルールで
自分を責めなくていいんだ。
1人で生きてゆけるなら。
それが可能な時代になったんだから。
君の苦しみは、今だけだよ。
選択していい時代になったんだ。
それでも、仲間と共に生きたいと思うなら、
それはそれでいいと思う。
すべては君しだい。
だから、世界をそんなに悲観しなくて
いいと思うよ。
自分が選んだ生き方なら、それは正しい。
後悔しない生き方をしよう。
それが可能な時代がきている。
それが『進化』なのか、『自然回帰』なのかは、わからないけどね。。
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