ワタシがスマホゲームをしない理由と、据え置きゲームの魅力を勝手に語っていく
だんだんと便利になっていく世の中。
不便なものが進化、あるいは淘汰され
人類にとって勝手がいいものへと
姿を変えています。
スマホゲームもその一例だと感じています。
場所を問わず、
スマホ一つでゲームができるから
使い勝手がいい。
それも人気の理由の一つでしょう。
かく言うぼくは、ゲームが大好きで。
モンハンやポケモン、ゼルダやニーアなど
興味のある作品はプレイしてきました。
しかし、なぜかスマホゲームは飽きてしまう。
なぜか魅力を感じないのです。
ゲームへの想いは人それぞれ
結論から申し上げますが、
ぼくにとってゲームの魅力とは
『起動にかかった時間に対する報酬』なんです。
ここは人それぞれですので、正解はありません。
あくまで、ぼくの個人的な「ゲーム」への想いです。
◆幼少時代の据え置きゲームは、時間との闘い
子どもの頃、据え置きゲームをするために母に許可をとって「1時間だけね。」と言われた経験があります。
家族みんなテレビが見たいから、ぼくだけが独り占めするわけにもいかないので。
このような経験のある方も、多いのではないでしょうか?
母の言う『1時間』は、ゲームが起動する時間も含めて『1時間』だ。
となると、起動の遅いゲームをプレイするとなると残り50分ほどです。
いや、10分もったいねー。
10分もあれば、アオアシラ狩れますから。
とにかく時間との闘いなので、それはもうスピーディーに行動します。
日頃のろまなぼくは、こんなところで行動力を遺憾なく発揮する。
ゲーム攻略の計画を緻密に練り、無駄な行動や動作を短縮する。
おかげでイベントシーンはスキップしまくり。
ゲームによっては、ストーリーが理解できない、といった弊害が生じます。
そんなことを子ども時分に経験したものですから、
ゲームってわくわくドキドキしたんです。
◆据え置きゲームの愛くるしさに、右に出る者なし
ぼくにとってゲームとは
『起動にかかった時間に対する報酬』なんです。
何が言いたいかと言うと、
「ゲーム」って、起動も含めて「ゲーム」なんですよ。
起動に時間がかかると、イライラするけど
プレイするのが楽しみでワクワクする。
そう、まるで入場ゲートが狭い人気テーマパークのように、ある程度のストレスがあると
その分、わくわくドキドキが加速します。
ぼくにとってゲームは、テーマパークと同じ存在です。
思い出補正と言われたらそこまでですが、
据え置きゲームをプレイする際のめんどくささ。これがたまらなく好きですね。
自宅でしかできない、テレビがある環境下でないとできない、コントローラーがないとできない、ボタン連打音がうるさい。
一見デメリットだらけですが、
なんかもう、可愛くないですか?
どんくさい子を見ているような。
愛着すら湧いてきます。
お手軽故に、魅力が半減する
スマホゲームを否定しているつもりはなく、
むしろ、スタイリッシュで利便性いいなー!とまで思っています。
なかなか肯定的に捉えていますが、
魅力を感じるか否かは別の話。
おそらくぼくが、スマホゲームに対して飽きが早いのも、魅力を見出せていないから、だと思うんです。
スマホゲームだと、指先一つでゲームを起動して、飽きたら指先一つで消去できますよね。
ところが、据え置きゲームだとそうもいかず。
ゲームを起動するために、電源ボタンを押さないといけない。
もっと言うと、ゲーム機本体の電源ケーブルを自宅のコンセントに挿すところからスタート。
スタイリッシュとは程遠いステップを踏んで、ようやくコントローラーを握ることができます。
煩わしさはありますが、ここに据え置きゲームの魅力が詰まっているのではないでしょうか。
だからぼくは、スマホゲームに魅力を感じない。
多分、これから先もすることはないんじゃないかなーと思います。
でも、娘ちゃんがスマホゲームするようになったら一緒になって熱中しますね、おそらく。
つらつら書いてきましたが、
スマホでゲームする派か、スマホではゲームしない派の話でした。
なまけもののひとりごと
一見すると、過去の出来事に執着していて
アナログな考えなのかもしれません。
だからこそ、愛着や暖かみを感じていたい。
これからの時代も、愛嬌のあるキャラクターが重宝されるようですから。
ちょっとどんくさいくらいが、ちょうどいいんですよ。きっと。
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