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【エッセイ】WBCを見て思い出した、過去のこと


 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で優勝を果たし、大会MVPを獲得した大谷翔平選手。手に汗握る熱戦となった決勝は、まるで大谷選手のためにWBCがあったかのような展開で、普段スポーツ観戦をほとんどしない私でもかなり楽しむことが出来た。
 私の地元は浦河町なのだが、彼は二〇一五年度に浦河町の観光大使を務めていたことがあった。だから、ほんの僅かでも、スーパースターとの接点があることを嬉しく思う。その当時も大谷選手の人気は凄まじく、彼の存在は、冴えない田舎町に大きな活気をもたらしてくれた。
たとえば、大谷選手が名付け親である、町の乗馬療育用の馬「スターイレブン」は当時かなりの話題となり、今でも町おこしのシンボルとなっているし、また、町のケーキ屋が「二刀流チーズケーキ」を考案した際は予約が殺到する事態となった。私の通っていた学校でも大谷選手の話題は尽きず、野球部の人達が「大谷選手に会えた」と興奮を抑えきれない調子で語っていたことを覚えている。とにかく、二〇一五年は町全体が大谷ムードで包まれ、盛り上がっていた年だった。
 そして、今現在も、彼が観光大使として活動していた頃の余韻がこの町には残っている。町の商業施設の中にある、ショッピングセンターの一角には、「ファイターズコーナー」があり、そこには、大谷選手が観光大使として浦河町を訪れた際の写真やサインのほか、彼の等身大パネルやPRポスターなどが記念に飾られている。その場所に足を運び、記念撮影をするファンや町民も多く、特に彼の等身大パネルの横は、今も人気の撮影場所だ。

 ところが、二〇一五年から三年後の、今から五年前の二〇一八年のことだった。何者かの手によって、彼の等身大パネルが盗まれるという事件が起こった。
田舎といえども、犯行現場であるショッピングセンターとその付近は、人目の多い場所だった。パネルは重さ一キログラムと、さほど重いものではなかったが、高さは大谷選手の身長である百九十三センチであり、持ち運ぶにはかなり目立つものだった。それに何よりもその等身大パネルは、町民ならば皆が知っている有名なものであり、どう考えても、このような条件の中で犯行に及ぶのは容易ではなかったことが想像できる。
それでも犯人は窃盗を試み、しかもそれは成功し、しばらくの間、犯人もパネルも見つからないままだった。一体、犯人がどのような手口を使いあのパネルを盗んだのか、私は今でも不思議でたまらない。
勿論この事件は町民の間で大きな騒ぎとなった。「大谷の等身大パネル、盗まれる」といった地元の記事は、確かに町民にとっては衝撃的なもので、私はその時、浦河の地元を離れて生活をしていたのだが、そんな私にも噂はすぐに回ってくるほどだった。夏休みに帰省し知人と顔を合わせると、このことは必ず話題にあがった。私の関わりの範疇に限るが、この事件について地元の人々は、大体三つの内のどれかの反応を示していた。
 一つ目は「早く見つかってほしい」といった切実な願い。これは、野球ファンや町おこしに励まれていた方に多い反応だった。
 二つ目は、「そんな奴もいるのか。どうやって一体盗んだんだ」といった犯行の手口に対する疑問や興味。これは、会話相手のほとんどが示した反応だった。
 三つ目は、「取り残されたもう一人の等身大パネルが可哀想」といった反応。
実はその「ファイターズコーナー」に設置されていた等身大パネルは、大谷選手のほかにもう一名の選手のものもあった。この彼もまた、大谷選手と同時期に浦河町の観光大使として町の宣伝活動を担っていたのだが、大谷選手があまりに有名すぎて、彼の存在が正直くすんでいた。それに加え、盗まれたパネルは大谷選手のものだけだったことから、この事件は双方の人気の差を知らしめるかのような一件になり、同情や嘲笑も含め「可哀想」といった反応をする者がいたのは、そういった背景があったからだ。
「可哀想」と言うこと自体、失礼であるとは思うが、「ファイターズコーナー」に一人取り残された彼のパネルは、私にとっても虚しさを感じるものだった。太陽のような存在により、どうしても相対的に日陰になってしまった人の存在に、私は当時、自分を重ねて落ち込んだ。勿論私とプロ野球選手を重ねるのはお門違いではあり、そのことは理解している。

 私は中学卒業後に地元を離れている。小学生の頃から取り組んできた部活動を本格的に励むため、高校は地元から離れた高校を選択した。窃盗事件が起きた時は、高校の部活動に入部し一年半が経過した頃であり、最適な環境に身を置いたにも関わらず、成績が伸びずに悩んでいた時期だった。
 その一方で、中学生の頃、共に練習に励んできた同級生は、新聞に大々的に名前が載ったり全国大会の表彰台に上がったりするなど、輝かしい成績を次々に残していた。互いに仲間として、ライバルとして切磋琢磨してきた頃の彼女の姿はどんどん遠ざかり、私は一人、取り残されたような気持ちになった。
 そんな私を、周囲は言葉で言わずとも陰で応援してくれていたと思うが、一部の人からは、ときに嘲笑の的になった。嘲笑されていることは勿論、周りに気を遣わせている事実に、私は酷く落ち込んだ。そんな状況下での、窃盗事件だった。相手が泥棒とはいえども、大谷選手ではない彼のパネルは「選ばれなかった」という事実がある。一方、大谷選手は選ばれた。同級生は輝かしい成績に、周囲から羨望の眼差しで見られた。私は…。
「気にするな」と言われても、勝負の世界でそれを気にしないことは不可能だと思う。一位を目指すということは、常に周囲の選手と比較しながら自分を高めることが必要で、その際に不安や劣等感が付き纏うのはある意味仕方無い事だ。ただ、だからといって、脚光を浴びていない人に対し、冷やかしたり罵倒したりする行為はいけないし、勿論、スポーツにおける勝ち負けを「人間の価値」に置き換えて考えることが、あってはならないのは前提だが。
 結局のところ、人がこれほどまでに自分や誰かの優劣を気にし、落ち込んだり嘲笑したり同情したりするのは、皆「自分が主人公でいること」に執着しているからだと思う。
 ネットでは、今回のWBCでの大谷選手の活躍を見て、自分自身に劣等感を感じたという反応も少なくなく、人は何かと比較し優劣を考えてしまう生き物なんだなとつくづく思う。しかしそういった程度のことや、スポーツの勝ち負けの範囲であれば、本人が思い詰めない限り問題が起こることはない。

 問題なのは、歴史を振り返った時、「主人公」になりたい人達が起こした戦争や、なれなかった人達が起こした殺人事件などが繰り返されていることだ。
誰かより優れたい、誰かより注目されたい、誰かより賞賛されたい…そういった思いが暴走し一線を超えた人間により、世界はいつも不安定になっている。「勝ち組」「負け組」といった言葉で人々の競争意識を高め、成功者と言われる人の自叙伝や自己啓発本が次々とベストセラーになっている今のこの国は、実はかなり危ないのではないかと思う。

部活を引退してから、よく思う。芸術表現とは、自分が主人公でも脇役でもなく、「世界の作者」になれる瞬間だと。かなり飛躍した表現をしてしまい、恥ずかしい。
 そこでは、何者にも惑わされず、自分の想像する世界を自由に創り出すことができる。当てたいものにスポットライトを当て、報われなかった誰かの物語を書くこともできる。
私はそのことに凄く救われた。その時、現実世界の自分の立ち位置「主人公」「脇役」という意識を超え、誰もが平等な価値ある人間の一人として生きていることを世界に示すことができるから。役に立たないと思っていた「日陰者」だった頃の自分の感情を今、こうしてエッセイという形に残すことができるから。
芸術の中でも、文章は自分の内面を深掘りする上で一番の手段だと思う。様々な事を悩み不安に思い、自分に劣等感を抱いたときは、主人公になろうとするのではなく、物語の作者になろうと思う。どうしても何かの一番になりたい時は、主人公を目指しつつ作者にもなるという、二刀流で行こうと思う。

 ちなみに大谷選手の等身大パネルは、事件から約五ヶ月後、犯人の家で無事発見された。犯人の自宅の片隅に置いてあったらしい。

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