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『Call Me by Your Name』からアプリコットの語源を考える 続編

前回の「『Call Me by Your Name』からアプリコットの語源を考える」という記事で、考古学者であるエリオの父親とオリヴァーの会話からapricotという単語の語源を考察してみた。今回はアプリコットの語源自体ではなく、教授とオリヴァーの会話のシーンとその背景にある価値観に着目してみたい。

2人がapricotの語源の話をするワンシーンはざっくりと以下のような流れだ。

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はじめ教授が「apricotという語はアラビア語からきている」と言い、イタリア語のalbicoccaもアラビア語のal-barquqに由来すると述べる。

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それに対し、オリヴァーは教授に(なぜか)反論する形で、アンズを意味する言葉はもともとのラテン語からギリシア語になり、ギリシア語からアラビア語のal-barquqになったと述べる。

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apricotの語源がアラビア語だとする教授の”間違った”説に対し、古代ギリシア・ローマという古典の知識を駆使して”正解”を述べることができるかどうか、オリヴァーは試されている。それをパスできたため、オリヴァーはギリシャ・ローマ美術史の教授であるエリオの父の助手として認められるというシーンだ。

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だが、そもそも教授の「apricotはアラビア語から来ている」説はべつに間違っているわけではない。教授とオリヴァーの説は矛盾してもいない。なぜなら前回の記事で明らかにしたように、apricotという単語はラテン語→ギリシア語(ビザンツ帝国)→古典シリア語→アラビア語(アッバース朝)→スペイン語・カタルーニャ語・イタリア語・フランス語など→英語という流れでできたからだ。

それなのになぜ、「apricotはアラビア語から来ている」という教授の説は「apricotの大元はラテン語とギリシア語だ」というオリヴァーの説明によって”覆され”なければならなかったのか?なぜ、オリヴァーの説が教授の説を”否定”する形に会話が組み立てられていたのか?

そこには「ヨーロッパ言語の源泉は古代ギリシア・ローマという古典にこそあるはずだ」「古代ギリシア・ローマ文化に由来するものにのみ正統性がある」という無意識の思い込みがないだろうか?

今回明らかにしたいのはその辺りである。

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まずアプリコットの語源について、劇中の2人の会話と私の仮定を比較してみてみよう。オリヴァーはラテン語→ギリシア語(ビザンツ帝国)→アラビア語の部分を、教授はアラビア語→イタリア語の部分を話していたわけだが、もっとも字数が割かれていたのはオリヴァーが述べた以下のパートだ。

The Greek actually takes over from the Latin. Latin word being, praecoquum or precoquere. So it's, "Precook" or, "Pre-ripen," as you know. To be precocious or premature. And the Byzantines, to go on, the borrowed praecox, which became prekokkia, which then became berikokki, which is how the Arabs got al-barquq.

どのようにラテン語から古代ギリシア語、ビザンツのギリシア語になった末にアラビア語にたどり着いたかが説明されている。

それに比べて教授の方はアラビア語の定冠詞が「al」であることを根拠に

The origin of our Italian albicocca is al-barquq.

と言っただけだ。

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違和感があるのは、アプリコットという言葉が古代ギリシア・ローマという「古典」から中世イスラーム世界にたどり着いたところまでは詳細に述べてられているのに対し、中世イスラーム世界からどのようにヨーロッパに「逆輸入」されたかはほぼ述べられない。

前回の私自身の記事でも見落としていた部分でもある。そこの「逆輸入」がどうなっていたか、歴史を元に推測してみよう。

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9世紀以降アッバース朝の「知恵の館」でギリシア語の文献が大量にアラビア語に翻訳され、哲学や数学、医学、天文学が外来の古典をもとに発展を遂げたことは前回も触れたとおりだ。しかし同時代の中世ヨーロッパ社会では、カロリングルネサンスなど一部の復興運動を除けば、古代ギリシアの古典はほとんど忘れられていた。いわゆる中世初期の「暗黒時代」だ。

その「暗黒時代」を抜け出し、12世紀ルネサンスのきっかけとなったのが、イスラーム世界と近接するイベリア半島(カスティーリャ王国)のトレド、シチリアのパレルモでの翻訳活動だ。そこでは古代ギリシア・ローマのアラビア語版がラテン語に翻訳し直され、「逆輸入」された。特にカスティーリャ王国のアルフォンソ10世はこの翻訳活動を推進し、従事したイスラム教徒、キリスト教徒、ユダヤ教徒の学者の集団はトレド翻訳学派と呼ばれた。アラビア語の文献を介して古典の学問が復興し、スコラ哲学や大学の設立が盛んに行われる時代を迎えたのだ。

アプリコットの語源に話を戻すと、ビザンツ帝国のギリシア語βερικοκκίᾱ (berikokkíā)が古典シリア語ܒܪܩܘܩܐ (barqūqā)を介してアラビア語البرقوق (al-burquk)になったと前回推測した。

そこから先ほど見てみた歴史と照らし合わせると、アラビア語のالبرقوق (al-burquk)がトレドの翻訳学校を通してカスティーリャ語(スペイン語)に翻訳され「albaricoque」に、同様にパルレモを通してイタリア語に翻訳され「albicocca」になったのではないかと推察できる。スペイン語とイタリア語の両方にアラビア語の定冠詞「al」の名残が見られるのもこれで納得がいく。

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このように、エリオの父の「アラビア語からイタリア語になった」説も、きちんと説明しようとすればできるし、オリヴァーの説とつなげて考えることもできるのだ。

しかし実際は映画の中ではこの逆輸入の話は触れられなかった。それどころかアプリコットはアラビア語起源という教授の説は“否定”された。それはなぜか?考えられる理由は以下の2つだろう。

①原作者をはじめ作り手の意図:古代ギリシア・ローマへのリスペクト

②作り手も見る側も気づかない無意識の思い込み:古代ギリシア・ローマがヨーロッパ文化の基礎

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まず①は、この映画を見たことがある人はなんとなくわかるかもしれないが、映画全体を通して古典ギリシア・ローマへのリスペクトが散りばめられている。冒頭のシーンはギリシア彫刻に始まり、登場人物であるエミオの父は古代ギリシア・ローマ美術史専門の学者(原作では古典文学の学者)、エミオ自身も古典に親しむ教養のある少年、恋人のオリヴァーも古典を専攻する大学院生だ。

舞台はイタリアで、あるシーンではローマ帝国時代の彫刻が海底から引き上げられる。

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また、男性同士の同性愛というモチーフも古代ギリシアとの繋がりを感じさせる。アテナイやスパルタでは成人した青年が市民の義務として思春期の少年と関係を持ち戦士としての訓練を行ったそうだ。映画に出てくるオリヴァーは24歳、エリオは17歳、ちょうど古代ギリシアにおける青年と少年との愛の関係に共通している。

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またオリヴァーは自身の研究テーマに古代ギリシアの自然哲学者ヘラクレイトスを選んでいる。

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このように全体の設定として古典を重んじる世界観が漂っていることがわかるだろう。
アプリコットの語源のシーンで「役として」オリヴァーが披露すべきなのはギリシア・ローマに関する教養の深さであるから、アラビア語からその後どうなったかは詳細に述べられる必要がなかったのだ。

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そしてアラビア語からヨーロッパ各言語へという「逆輸入」に触れられなかったもう一つの要因は、作り手の意図や設定とは別に、もっと根底の、私たちの思い込みにあると私は考える。

すなわち、②「古代ギリシア・ローマの文化がヨーロッパ文化の基礎となっていて、それは昔からずっと変わらない」のが”当たり前”だと信じられている、ということだ。

実際は今回明らかにしたように、ギリシアやローマの古典の学問、科学は一旦ビザンツ帝国やアッバース朝を経由して12世紀ルネサンス、14世紀ルネサンスに受け継がれている。古代ギリシア・ローマが一筋に近代以降のヨーロッパ文化の基礎となったわけではないし、それは静的な移行でもなかった。一度イスラーム文化を経由し、そこで発展した学問をさらに受け継ぐ形で受容したわけだから、純粋にギリシア・ローマ文化のみが基礎になることもありえない。中世ヨーロッパの学問の中心となったキリスト教神学は、それ以前に発達していたイスラーム神学の影響なしには語れないだろう。

それでもなぜか「古代ギリシア・ローマ=ヨーロッパ文明の基礎」というイメージが私たちを支配している。そしてそれらの古典とその系譜を持つ学問のみが正統であるかのような前提を私たちは共有している。

そういった思い込みや前提が、アプリコットの語源のシーンで、オリヴァーに教授の説を“否定”させたのではないだろうか?

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だがよく考えてみればアプリコットの語源はアラビア語を一度経由しているし、古典の学問もイスラーム世界を一度経由している。

ヨーロッパ人が名付けた「暗黒時代」は、中東で学問が花咲いた時代あり、世界史的にみれば「暗黒」ではない。

私たちの知っている「世界史」はヨーロッパの視点から語られることが多い。そしてその「世界史」は映画や文学や、その他私たちが触れるものに共有され、気づかぬうちにあらわれているかもしれない。それがもしかしたら角度を変えれば当たり前ではないかもしれないという可能性を、頭の片隅に持っておきたい。

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