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悲劇まみれの人生でも

2020年、まだ30日以上残ってはいるけども、
今のところ この他に見せたいものが無いので、今年最後のつもりで書きます。



今年初めに計画していたことが叶わないまま一年が終わろうとしている。

今年 僕に投げかけられたある言葉に対して、いろんな感情が湧きあがってきたので書き残しておく。


精神障がい者のための作業所に通う回数がなかなか増やせない中、例のウイルス騒動がやってきて、

正体が分からない恐怖に耐えられなくなった僕は、自ら活動を自粛することに決めた。


「わけが分からない内に 僕が感染源になって死人が出てしまったら、自らその責任を負える自信がない」

「もともとスタッフの数が少ない中で 新しい対応に迫られている状況。僕が一方的に怖がっているのをなだめる余裕なんてなさそうに思える」


正直な理由を掲げて、11月現在 なおも自粛を続けている。


活動を再開するメリットが、僕には感じとれない。


今年の前半は、1か月ごとに作業所から機嫌伺いの連絡があった。

先ほど挙げた理由を何度も伝えて 自粛を続ける方針を伝えて電話を終わらせた。



頭の中で何かが引っかかっている。この感覚は数日経っても消えなかった。


思い出せる内にと、その言葉を文字に起こしてみた。



「いつまでも悲劇のヒーローで居続けていると、前に進めないよ」



皆さんはどう感じているでしょうか?



そうか、前向きに考えていかないとな、
という気持ちになる と答えた方へ。



僕にとって、これが違和感そのものなんです。



この10年だけでも、"悲劇"といえる出来事がたくさんありました。


<2011年>
・「東日本大震災」 (3月11日)
(M9.0の本震・津波・長期間にわたる余震)

・福島第一原発の事故

・長野県北部で最大震度6強の地震 (3月12日)

・静岡県東部で最大震度6強の地震 (3月15日)

・「紀伊半島豪雨」(9月)


<2014年>
・「平成26年8月豪雨」

・御嶽山噴火 (9月)


<2015年>
・「平成27年9月関東・東北豪雨」


<2016年>
・「熊本地震」(最大震度7が2回発生) (4月)


<2018年>
・「平成30年7月豪雨(西日本豪雨)」

・北海道で最大震度7の地震 (9月)


<2019年>
・台風などによる甚大な被害 (8月~10月)


<2020年>
・新型コロナウイルスの蔓延

・東京オリンピック・パラリンピック延期

・「令和2年7月豪雨」


日本社会に大きな影響を及ぼしたことだけ載せましたが、こんなにあったんです。


それ以外に小規模の被害はもっと起きていたわけで、


"悲劇"と呼ぶにふさわしい出来事に複数回直面した人なんて、一人もいないと言うのがおかしいくらいです。


さらに、僕自身の"悲劇"も書いておきます。


・生まれつきの発達障害の影響で コミュニケーション能力が追いつかず、集団生活では仲間外れにされてばかり。


父がアルコール依存で、家で父の記憶が飛んでいる内に"言葉の暴力"を受け続けた。


・二十歳になって障がい者とみなされた。
(それまでずっと 間違った立場で生きてきたこと。)


・僕の能力に見合う居場所ができないために、5年以上 大した収入も貯金も得られていない。


僕の人生に 心から共感してくれる人が現れないこと。



こんな人に対して、「悲劇のヒーローの感情を表に出してはいけない」と、まだ言うつもりですか?


そういう風土の環境には、僕は用はありません。
社会のために良い仕事だとしても、居る意味が見出だせない時点で辞めます。


病んで絶望して早く死ぬよりも、一生 生活保護という暮らし方が まだマシと思える気分です。


こんなことを分かってくれない限り、僕は自立した生活を目指すことすらできません。



誰か 教えてください。

僕は何か悪いことをしたんでしょうか?


教えてください。

こんな僕がこの世でできることは何か。


教えてください。

悲劇にまみれた過去をまとって生きる僕を、心から応援してくれる人を。


オーノ

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