何を言わず去っていった猫の話
「猫はね、もの言わぬ消費者ですから」
就職活動中、猫好きが高じてキャットフードメーカーの説明会に足を運んだとき、ドヤ顔をしながら社員さんが言った。
「猫は、キャットフードのおいしさを語ってくれない」という説明に使われた言葉である。
たしかに、‟猫まっしぐら“な姿を見ても、そのキャットフードがおいしいのか、単にその猫がお腹を空かしているのかはわからない。
「まぁまぁだが、もうちょっとかつおダシが利いていればなぁ」
そう余計なことを言わないところに、猫の可愛さがあるのだと思う。
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小2のとき、飼い猫が3匹の子猫を産んだ。茶色と白の母猫、黒と白の父猫から生まれたこともあり、3匹揃って三毛猫。
私の父は、白の面積が多い猫を「シロ」、黒の面積が多い猫を「クロ」、茶色の面積が多い猫を「チャコ」と名付けた。なんとも単純な名前。
3か月ほど経ち、自分でトイレができるようになった頃、1匹を里子に出すことになった。
ネットもなかった当時、両親が区内報に投稿してやっとこさ見つけて来た里親さんに「何色の猫がいいですか?」と聞くと、「茶色(茶子)がいいです」と答えた。
ついにお別れすることになった日。
小2だった私は駄々をこね、「絶対渡したくない」と泣き喚いた。私があまりにしつこかったため、両親は泣く泣く里親さんに謝罪し、実家で4匹を飼い続けることにした。
今考えると、なんて迷惑な子どもなんだと思う。
ただ、その日から茶子は私に異様に懐くようになった。何か伝わるものがあったのかもしれない。
寝るときは私の部屋を来て、勉強中は膝の上に乗ってきた。熱を出して寝ているとき、失恋したとき……。思い起こせば、弱っているときこそ、寄り添ってくれていたように思う。
平熱が38度と人間よりも高く、普段から温かい猫の寝起きは、さらに温度が上がる。そして、柔らかい。寝ている猫を抱き上げると、クタクタと体が伸びる。
猫は1年で成猫となり、その後は1年で4歳ずつ年を重ねる。10年生きたら56歳、15年生きたら76歳といった具合だ。
それを知った小学生のときから、「茶子が死んじゃうのは自分が大学生くらいのときかな」と自分の中でカウントダウンが始まってしまっていた。
***
茶子は、年を追うごとに寝ている時間が増えていく。私が就職で家を離れた後は、随分病気をして母はひたすら看病に勤しんだ。最後はもう足元もおぼつかなくなり、とうとうお別れの日が来た。
「もう危ない」と実家から連絡をもらってから数日間は、実家から会社に通っていたが、死に目には会えなかった。
「亡くなった」と聞いて、仕事を無理くり終わらせ駆けつけると、いつものように寝ていた。
「なんだ寝てるんじゃん」
そう思って抱き上げてると、丸まった状態から形が全く変わらずカチカチだった。
博物館の剥製のように硬いぬいぐるみからは、魂が抜けきったようで、そこに茶子はいなかった。「また、ベランダから逃げたのかな? 探しに行かなくちゃ」と思うくらい、どこかに行ってしまっていた。
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本来、小2でお別れするはずの猫を20年近くも引き留めてしまったのに、最後にお別れも言えなかった。
猫は自分の死期がわかるそうで、人目につかないところでこっそりと息を引き取ることが多いらしい。
死期がわかったなら、教えてほしかった。いや、「今日死にます」なんて言われても困るかなぁ。
うちで暮らせて幸せだったのかなぁ。
もの言わぬ猫は、本当に困った奴だ。
編集:アカ ヨシロウ
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