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カメラはじめ。

最近よく「年齢:●歳まで」という年齢表記が目について、落ち込む。
いわゆるアラサーの自分には、特にこれといった特技もないし、
別に可愛いわけでもないし、まして、誇れるような仕事をしているわけでもない。自己紹介してくださいと言われると、「何者でもない私」は、
名前と年齢以外言うことがなくて、いつも言葉に詰まる。

そして、その年齢表記を見ると、私の何もない現状への焦りと、
未来に対しての不安がグッと心に押し寄せてきて、何もないから
「今更お前は何やっても無理だ」と、社会全体からも
人生を諦めることを諭されてるような気持ちになる。
私自身も自分は何もできないし、無理だろうと言い聞かせてた。

そんなことを考えていたら、ふと昔の自分を思い出した。
幼稚園児だった頃のある日、何気なくブランコを漕いで遊んでいると、
だんだんと風を切って、空に近づける感覚がたまらなく好きになった。
それから、朝から日が暮れるまで、毎日ブランコを漕ぎ、
ワクワクしながら「いつかあの鳥のように私も空を飛ぶんだ!」って
呪文のように唱え、夢を描いてた。

幼稚園の先生には「いい加減、やめなさい」と怒られたこともあったけど、それでも、幼稚園児の私は、先生よりも自分の信念を貫いてて、
毎日いかにブランコを漕げば、もっと空に近づけるか考えてた。
お昼寝の時間さえも、ブランコのことを考えると楽しすぎて、寝れなくて
こっそり部屋を抜け出して、情熱をブランコに注いだ。
今思えば、ただのバカな幼稚園児だけど、懐かしい。(笑)

社会の中で生きて行くために、学校に行き協調性やら、なんやら色々な術を
学んできたけど、協調性等を大切にするあまりに幼稚園児の私が持ってた
あの頃の情熱を、私はどこかに置き忘れてきた。

人にどう思われるか気にして、興味あることも素直に言えず、
行動できず、結局安心安全である、現状維持=何もしないことを選ぶのだ。
いつの日かやろう、そう思って何年くすぶってんだろう。
ずっと気づかないフリをして誤魔化してたけど、
こんな情けない奴は、何もない人になるに決まってる。

落ち込むくらいなら情熱を取り戻せよ、私。
自分の人生諦めず、興味あることやってみろよ、私。


そんなこんなで、2019年、私カメラ始めました。


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