見出し画像

評価されないと許されないと感じていた。

誰だって好き勝手生きてていいはずなのに。

何でもひとりでもデキるやつ、
そう思われたいしそうありたいと思っていた。
評価されないと存在してはいけないみたいな感覚があったから。

わたしなりに頑張っていたし、それなりの評価ももらっていて、自分の支えでもあった。
でもそれは、崩れてしまった。
メンタルクリニックでうつ病と診断されたとき。


「できません」と言わずに仕事を引き受けるわたしを、上司たちも重宝していたと思う。
それがたとえ、全く門外漢の自分がなんとか情報を収集し勉強しながら必死に完成させた仕事でも、わからないとか頑張ったなどとは職場の誰にも言わなかった。

だんだんと、何でも知っていて何でもできるのが当たり前だと思われ、上司の願望や野心を叶える存在となっていったらしかった。
理不尽だったり朝令暮改だったりの指示、職責を越えた仕事でも申し付けられるようになった。

不調を感じ始めたのは、ついにどうしようもなくなり「わからない」と言ったわたしを、「なぜわからないんだ」と上司が責めたころから。
自分の存在価値そのものが否定されたと感じてしまった。

無性に虚しくなってきて、次第と自分の仕事や、全体的な自分の考えや感覚に自信が持てなくなってきた。

毎日お腹は痛く、食欲はなく、夜は眠れない。
内科医の勧めで受診したメンタルクリニックで休職を勧められたときに感じたのは、安堵の気持ちとそれを上回る挫折感。

「何でもひとりでデキるやつ」という支柱が崩れ、また周囲からの評価も諦めなければいけない。
職場のひとたちにもそんな自分を見せるのがつらくて恥ずかしくて堪らなかった。

何でも自分でやろうとか、ひとりでもしっかりしなければいけないと思ってがんばっていた自分を否定はしたくない。それだけ気を張って生きていた。
一方で、「できません」と言ってぽいっと投げ出してしまえる人を少しの嫌悪感とともにうらやましいとも感じていた。
そういう人はそれが自分を守るすべなのだろう。


評価されなければ許されず、好き勝手生きられない。 
そんな思い込みは呪いだ。
わたしは呪いにかかっている。
それに気が付いた今でも。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?