冷蔵庫さんとの思い出

8年間使っていたパソコンが壊れた。家電量販店でよさそうなものに目星をつけ、ネットで注文をし、今日新しいものが届いた。非常に快適である。そうなると、古いパソコンの捨て方や置き場に困る。
どうしようかなと考えているうちに、ちょうど20年ほど前の夏のことを思い出した。小学1年生の夏のことである。実家の冷蔵庫が壊れてしまったのである。それこそ10年近く使っていた冷蔵庫だったので、頑張ってくれたなと思っていた一方で、新しい冷蔵庫を買いにつれて行ってもらえることになり、わくわくしていた。昭府町の家電屋に行き、大きさや値段などを母親と父親が検討している中、私は「新しくてきれいな冷蔵庫がくるんだ」と心躍らせていた。意味もなく展示されている冷蔵庫のドアや引き出しを開けるなどして一人楽しんでいた。そうこうしているうちに、父親と母親が新しい冷蔵庫を決めたようだ。
そうなると厄介なのが古い冷蔵庫である。捨てることになるのだが、ある程度きれいに掃除してからでないと捨てられないのである。当時の粗大ごみや家電の廃棄の仕方は覚えていないが、一家総出で古い冷蔵庫を大掃除したのである。ただし一家総出といっても、実質「人間」だったのは父・母・私で、下3人は「猿と人間の境」であった。
私に課せられた仕事は、冷蔵庫のドアについている牛乳などを入れておくケースを掃除することだった。オレンジジュースがよくわからないこびりつき方をしていたり、卵入れを掃除しにくかったりしたのを今でも覚えている。午後の早い時間から夕方にかけて3人で掃除をし、「これで処分できる」という状態に仕上げたのである。
その日、夏休みの課題である日記を書いた。冷蔵庫が長いこと頑張ってくれたこと。新しい冷蔵庫を見に行ったこと。壊れた冷蔵庫を掃除したこと。一通り書いたあと、処分される古い冷蔵庫に対して、不思議な気持ちを抱くようになった。なんとなく古い冷蔵庫との別れに、寂しさを感じるようになったのである。
その思いがだんだん強くなり、日記を書きながら「冷蔵庫さん」との別れがつらいものに思われた。日記を母親に見せたとき、その感情はピークを迎え、思わず大泣きをしてしまったのである。
そこから先は記憶が薄れてはいるが、母親に「あんたは優しい子だね」と言われたような記憶がある。実際に「優しい子」だったのかは不明だが、とにかく大事に新しい冷蔵庫を使おうと思ったのは事実である。
あれからいろいろなものを捨て、買い、壊してきた。古くなったら新しいものを買うのが当たり前になってきた。ところが今日新しいパソコンが来て、なんとなく20年前のことを思い出し、今までの自分のモノの扱い方に恐怖を感じた。あまりにも無駄遣いをしてきたのではないか。紙1枚、ペン1本、本1冊…。「もったいない」という言葉が頭をよぎる。
20年前に冷蔵庫さんと涙の別れをしたことを思い出しつつ、壊れたパソコンを処分すべく梱包した。随分と酷使をしてきたものだ。おつかれさまでした。


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