何というか、の続き

それは突然に思い出す。忘れもしない中学校3年生の秋の話だ。

中学生のとき、帰りの会でクラスの誰かがスピーチをするという時間が設けられていた。その日の発表者はAさんだった。Aさんはあるアパートに住んでいた。そこでは近所付き合いがよい、というわけではないが、互いに顔見知り程度の関係が築けていたという。Aさんの家の隣にはBさんという初老の女性が独身で暮らしていたそうだ。Aさんは挨拶を交わす程度の関係だったが、人当たりのよさそうな女性だなと感じていたそうだ。そんなBさんがある日引っ越すことになったらしい。どうやらBさんは近所に暇乞いすることもなく、去っていったそうだ。

それから十年近くが経ち、Aさんはお母さんから「Bさんって覚えている?」と聞かれたそうだ。Aさんはぼんやりした記憶の中からそれこそ突然思い出したらしい。「覚えているよ」と答えたところ、お母さんから「Bさん、亡くなったらしいよ」と告げられたらしい。

Aさんは原稿を読みながら以上のような話をしていた。しかし、原稿があるにもかかわらずAさんの話は止まってしまった。

「Bさんが亡くなったという話を聞き、私は悲しいというわけではないけれど、なんというか…なんというか…」

そこから先の言葉が出てこなかったのだ。きっと原稿にも書けなかったのだろう。

小学生から高校生を相手に授業をしたり話をしたりしていると、突然、「なんでこんな発想ができるんだろう」と感心したり、「こんなことに気づけるんだ」と驚かされたりすることがよくあるのだ。それだけに、はっとした瞬間で、Aさんのスピーチの「なんというか…」のあとに彼女は何を話したかったのだろうか、と考えることがあるのだ。

悲しいというわけでもない。涙を流したわけでもない。ちょっと知り合いである程度の人が亡くなった。Aさんからみれば日常に訪れたほんの小さな非日常であった。しかし彼女は「なんというか…」から先が出てこなかった。

仕事の休みの合間に、ふと彼女がいわんとしたことを推察する。

「なんというか…」

その続きの言葉は、未だ分かりそうで分からなく、見つかりそうで見つからない。

それが「中学生」という敏感な時期の感性なんだ、という結論で、なんとか自分を納得させている。
今日も「なんというか…」の続きを考えながら、書類の山を目の前に途方に暮れている。

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