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第17話 混沌の森の中

スウィートブライド代表中道諒物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2010年11月。

クライアントの会社まで着いたものの約束の時間よりだいぶ早く、僕はそのまま車を走らせていた。
しばらく進むと、道路の右手の少し奥に入ったところに檸檬というレトロな雰囲気の喫茶店を発見。

(少し、ここでゆっくりしようかな・・・)

僕は喫茶店に入り、珈琲を注文した。
その時だった。店内のBGMからコブクロの「ミリオンフィルム」が流れてきた。

身体が瞬時に反応する。
何度も何度も披露宴で流した曲。オードリーウェディング時代の数々の新郎新婦様の笑顔が走馬灯のように僕の頭を駆け巡っていった。

僕はとっさに耳をふさいた。
心も身体も耐え切れなかった・・・。

僕はウェイトレスに珈琲のキャンセルを告げ、息を切らしながらすぐにその店を出た。
オードリーウェディングの事を忘れよう忘れようと思っているのに、1年経ってもまだ断ち切れない自分がいた。

(もういっそのことブライダルの世界から逃げてしまいたい・・・)

まだまだ僕は立ち直れていないようだった。

2010年11月3日。

文芸社から大きな封筒が届いた。
実はオードリーウェディングを辞めてから空いている時間にコツコツとエッセイを書き溜めていて、それを作品として文芸社に応募していたんだ。

封筒の中には編集者さんからの手紙が入っていた。

『この度は応募ありがとうございます。残念ですが今回は落選となりました。ただ、中道さんの文体には独特の哀感があり、家族への愛に満ち溢れた文章は、私の心に強く残りました。事務所の中でも周りの編集者たちから惜しむ声があがりました。一日の疲れを癒し明日への鋭気を養いながら豊かで贅沢な時間が過ぎてゆく・・・、そんな中道さんの世界観をエッセイではなく小説としてキチンと書いてみませんか?よければご連絡ください』

何をやっても先が見えず、自分が見えず、どんどんふさぎ込んでた時だったので、この編集者さんからの手紙は僕の心を勇気づけてくれた。
僕はすぐにその手紙をワイフに見せた。

「良かったね」

ワイフのその穏やかな言葉は僕の心の中をを察してくれてるようで、僕は思わず泣いてしまった。

「うん!すごく嬉しい。出してよかった」

(こんな僕でも誰かが見てくれてるんだ)

ただそれだけの事が、今の僕にとっては本当に嬉しい事で大きな大きな心の支えになった。

2010年11月12日。

ピアホテルの深夜バイトから帰宅した僕は、2階の仕事部屋でタック&パティの「インマイライフ」を聴いていた。

7年前、僕は百貨店を退社した。
しばらくは一人で何もせず企業勤めでついたアカを落としながら、僕はただ「充電」という言い訳の時間を無駄に過ごしていた。

先なんて全く見えてやしなかった。自分が何を始めるのかさえはっきりしてなかったんだから。
そんな僕が当時よく聴いていたのが、タック&パティ。ソウルフルな歌声と甘いギターの音色にどれだけ救われただろう。

久々にタック&パティを聴いてると、涙がでてきた。

(最近は涙腺がゆるみっぱなし・・・)

あの何も無かった7年前から、僕はオードリーウェディングという事業を経験し、そして挫折というものも経験した。

(なんか一周まわってあの頃に逆戻りだな)

そんな風に思うと、ますます泣けてくる。
でも僕は、何かにおびえ不安になりながらも、立ち向かって切り開いてきた。闘いながら傷つきながらも、一生懸命歩いてきた。

逆戻りのようだけど、決してそうじゃないはずだ。僕は前に進んでるんだ。タック&パティのギターの音色が僕の心にとても心地よく響いていた。

2010年11月24日。

今日は僕とワイフの14回目の結婚記念日。
14年も結婚生活してると色んな事があって、順風満帆なんてないものだ。

ワイフは常に平凡を望んでいた。
僕は常に上昇欲をもっていた。

2人の間に欲の差が天と地ほどあったんだ。
でもこの14年という歳月はかたくなな僕をワイフの方向に向かわせたように思う。

今になって僕はワイフの考え方に賛同するようになった。少しワイフの心の中がわかったような気がしている。14年も一緒にいて、ようやく「たった少し」だけど。

あと何年、ワイフが僕と一緒にいてくれるかわからないけど、その間にひとつでも多く共鳴できるものがあればいい。

結婚は大きな人生勉強のひとつだ。

合わないからと投げ出していては、いつまでたっても学べない。他人と一緒に暮らすということはそういうことなんじゃないかな。

結婚記念日の今日、今年よりもさらに来年の結婚記念日がいい時間でありますように・・・。ちょっと気は早いけどそんな風に考えながら、僕は深夜バイト先のピアホテルまで自転車を走らせた。

2010年11月25日。

深夜バイトが終わり、着替えていたら電話がなった。ドレスサロン「シンデレラ」のオーナー松下琴美さんからだった。

「中道さん、今日時間作ってくれない?大事な話があるんだけど」

少し重い空気を感じた。

「今からでよければいいですよ」

自転車で西へ15分ほどのところにそのドレスサロンがある。サロンの前に自転車をとめて入ると松下さんは驚いたような笑顔で歓迎してくれた。

「わぁ!中道さんのジャージ姿、新鮮(笑)いっつもビシッとしたスーツ姿しか見てないから」

「今、ホテルのバイト終わったとこなんですよ。こんな格好ですみません」

「いやいやこちらこそ、お疲れの時に呼び出してごめんね」

「松下さん、どうしたの?なんか重たい感じだけど」

「実はね、年内でこのサロン閉める事にしたの。ブライダルは辞めて違う事をしようかなって」

「え!!閉めちゃうの?それは残念だなぁ・・・。松下さんにはずっとこの業界で頑張って欲しいのに」

「ありがとう。自分なりには精一杯やったかな。それと息子が就職したからそんなに稼がなくてもよくなったしね。中道さんはこれからどうするの?」

「いやぁ・・・、それがまだ何にも。今はプチウェディングでお世話になってるんだけど、プチウェディングがある程度軌道に乗ったら、一応そこでひとつの区切りをつけようかなと思ってる。このままいったら、デザイン事務所を作ってデザインの方で生きていく事になるかも」

「え?中道さんがブライダル辞めるの?」

「いや、まだ何にも決まってないよ。でも、もうブライダルはいいかな、なんて思ったりもしていて・・・」

「実はね、今私が所有しているウェディングドレスを処分するには忍びなくて、できたら私の想いが残るところで生かしてやりたいなぁと思ったの。すぐに中道さんの顔が浮かんで。そんな私の想いを託せるの中道さんしかいないから」

後日、僕はプチウェディングの神谷さんに相談し、松下さんのウェディングドレスを引き取る事にした。
松下さんの魂がこもったドレスたち・・・、その1着1着は松下さんの娘のようでもあった。

(大事に守ってあげなきゃ・・・)

僕はまたひとつ大きな責任を背負ってしまったように感じた。

逃げ出したいとまで思い始めたブライダル。
でも逃げられなくて・・・、自問自答と葛藤が日々僕の心の中で揺れ動き、混沌とした渦の中で懸命にもがいていた。

2010年11月30日。

パソコンが完全にショートし、ここ数日は本当にまいった・・・。

ウェブの仕事に身をおく者にとって、パソコンが不具合に陥るという事態ほど厄介なものはない。でも、パートナーの岸田君が復旧に尽力してくれた。

本当にありがたい。
仕事は一人じゃできないんだ、と改めて実感する。

今夜は、そんなパートナーに感謝しながら、ようやく復旧したパソコンに全てのクライアント様のデータを流し込む。まだあと2時間くらいはコピーにかかるかな・・・。

僕はキッチン棚からジョニ黒をとりだし、リビングのソファに腰をおろした。ジョニ黒のロックを一杯やりながら、アートペッパーの音色に浸る。

時計を見るとすでに深夜2時を過ぎていた。

僕の物音がうるさかったのか、それとも眠れないのか、ワイフが2階の寝室から厚手のカーデをまとってリビングへ降りてきた。

「私も一杯もらおうかな」

同じ屋根の下にいても、息子たちがいるとそうそう夫婦二人でゆっくりと過ごす時間なんてないものだ。

そんな今夜は隣のワイフの空気感にやすらぎを感じながら、ジョニ黒をもう一杯・・・もう一杯・・・・。


第18話につづく・・・





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