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第32話 素顔のままで

スウィートブライド代表中道諒物語。ウェディングプランナーに憧れ百貨店を退職し起業。でも40歳で全てを失う大きな挫折。そこから懸命に這い上がりブライダルプロデュースの理想にたどり着くまでの成長ストーリー。※この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

2012年2月。

会社名、コーポレートカラー、コンセプトが決まる。

僕はイメージの森を抜け、それを言葉に落とし込んでいく作業に入った。僕の中での最終ステップだ。

このスウィートブライドについて僕は、出来れば終(つい)の仕事にしたいと考えていた。僕のブライダル人生の集大成にしたい、と。

そこで、これまで3つのプロデュース会社をやってきた経験から、僕に一番合うスタイルを導き出すために、もう一度それぞれの会社の特徴を書き出してみる事にした。

(僕は、こうやってノートに書いていくのが大好き。書く事で頭がリフレッシュされ、色んな思考が生まれてくるんだ)

僕はノートを開け、ひとつひとつ振り返っていった。

まずは「カウスボレアーリス」。
今では僕も丸くなり、自分の意見を強く言わなくなってきたけど、当時は使用させていただく式場の支配人やスタッフに対してもとことん我を通し、本番当日でも怒鳴りまくっていた。

自分の夢、自分のやりたい事だけを押し売りしていたように思う。

次に「オードリーウェディング」。
この頃の発想はとてもビジネス的なもので、僕は理想のプランナーではなく理想の経営者を目指していた。時代を読み、企画を考え、売れる方程式を徹底的に勉強した。広告展開も積極的にやった。

その行き着いた先には、「もうこだわりは必要ない」という自分がいた。ある程度結果がでてくると、僕自身のこだわりなんてどうでもよくなり、「売れれば勝ち」と思うようになっていた。

ニッチな特化型ではなく、オーソドックスなオールマイティーを目指した。海の見える高台にこじゃれたサロンを作るより、人通りの多い商店街のど真ん中に『こちらは結婚式のプロデュース会社です』という大きな看板をあげ、誰でもが入りやすい店構えにする。そんな風な考え方であった。

だからこの頃の僕は5年先のビジネスプランまで明確にあった。そして付き合う人もビジネスの第一線で活躍しているような人たちに厳選し、常に最新の経営方法を学びインプットしていくという感じだった。

やがて僕は地域のために立ち上がらねば!と、壮大な大志を抱き始め、もはやブライダルではないところに向かおうとしていた。付き合う人間を間違うとこうなるという典型的な生き方だったかもしれない。

最後に「プチウェディング」。
ここでは僕がこれまでの人生で避けていた『格安』というキーワードにチャレンジする事になる。やっている中身は、オードリーウェディング時代となんら変わりはなかったけれど、切り口を『格安』に限定しており、僕にとっては初めての特化型のビジネススタイルでもあった。

神戸で格安チャペルを運営しようと考える事ができたのは、このプチウェディングでの経験が大きかったように思う。

こうして当時を振り返りながらノートに書き出した僕は、これをどう集大成に結びつけていけばいいのか考える。最初は良いとこどりをすればいいと簡単に思っていたが、それは案外と難しいものであった。

ならば逆にマイナスを取り除こうと考えてみた。

カウスボレアーリスでのマイナスは、自分よがりの企画にこだわりすぎた事。オードリーウェディングでのマイナスは、あまりにビジネスライクであった事。プチウェディングでのマイナスは、格安のコンセプトが僕らしくなかった事。

(なるほど。マイナスは簡単明瞭に出てくるもんだ)

僕はこれらのマイナス要素を、発送の転換をする事でプラス要素に置き換えていき、ひとつの文章を作った。

『お客様の声に耳を傾け、人間味あふれるプロデュースをして、お客様の希望の結婚式を叶える』

これが僕が導き出した集大成。
まさにスウィートブライドの理念の誕生であった。

(奇をてらわず、素の自分でいこう!)

僕はこれまでのビジネスの鎧を脱ぎ捨てて、ブライダルプロデュースの本道に真面目に取り組んでいこうと思った。

そして、このキャッチコピーが生まれた。

『素顔のままで・・・』


第33話につづく・・・

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