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ヘタレから聖人へ大変身?「大仏建立」の聖武天皇

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今日は久々に戻ってきましたよ、日本史のお時間です☆

先日まで、奈良で正倉院展が開催されていたこと、皆さんご存知ですか?

正倉院宝庫には、奈良時代の重要宝物が沢山納められていますが、その中でも有名なのが、東大寺の大仏建立を成し遂げた聖武天皇ゆかりの品々です。

聖武天皇の崩御を悲しんだ光明皇后が、遺愛品を東大寺に献納したことが由来といわれています。

奈良の大仏を建立したということで、聖武天皇は日本史に残る天皇の中でも、五本の指に入るほどの偉大な天皇だと言われています。

ただこの聖武天皇、本当にたくさんの苦難困難の末に、「大仏建立」まで辿り着いているんですね。

あまりにも悩んでいる様子が分かるので、ヘタレなのか?と疑われることもある聖武天皇。笑

ただ、あれだけの大変な時代ならば、それは悩むだろうな、と思うことも多いのです。

今回は、大仏建立に至るまでの聖武天皇の苦労をご紹介してみたいと思います。


「責めはわれ一人にあり」

聖武天皇の残している言葉に、「責めはわれ一人にあり」という言葉があります。

どういう意味かというと、「天変地異や政変、飢饉など自分の治世には災いが絶えなかったが、これらはすべて、為政者である自分の責任である」と全てを深く受け止めているんです。

「朕が治めるようになってから十年を経たが、自分に徳がないのか、罪を犯す者が多い。

自分としては、夜通し寝ることも忘れて心遣いをしているが、近年、天候が不順だったり地震がしばしば起こったりするのは、まことに朕の政治が行き届いていないためで、多くの民を罪人にしてしまった。

その責任はすべて自分一人にあり、諸々の庶民の与(あずか)るところではない」

引用:森本公誠「東大寺の成り立ち」


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