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「泥くさい」津軽を伝承する 金多豆蔵劇三代目座長 木村巌

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津軽鉄道の最終目的地 津軽中里駅のなかには金多豆蔵(きんたまめじょ)人形劇のシアターがあります。

「金多豆蔵」は 1907年(明治 40 年)に創作されて以来、100 年以上に渡って伝承されてきた人形劇で多くの地元の人に愛されてきました。

首筒式という日本唯一の方法で一人で二体の人形を演じています。

金多豆蔵の名前には人は「豆」まめしく健康で働けばお「金」が「多」く入り「蔵」が建つという意味が込められているそうです。全編津軽弁で行われるこの劇は世相を取り入れた笑いあり涙ありの人情深い劇です。

今回は金多豆蔵人形劇の座長をつとめる三代目木村巌さんをインタビューしました。

(金多豆蔵の情報は最後に記載しています。)



私で終わってしまうよ。

――木村さんが金多豆蔵人形を始めたきっかけを教えてください。

自分の身の回りに人形はいつもあったし、おじさんも父も人形をやっていたし、おじさんが弟子に来ないかと誘われたから行ったのだけれども。小さいころから身近にあったので「面白いな、やってみたいな」 という気持ちがありました。

それに自分のおじさんだからすぐ手取り足取り教えてくれると思ったのだけれども、現実はそんなにあまいものではなかった。

最初住み込みでおじさんの家に弟子入りしたんだけども。人形の荷物運びと片付けだけを何年かして。7年ついても全然教えてはもらえなかったし。

――ほんとうに厳しいおじさんだったんですね。

いや本当に厳しかった。2代目が弟子を募集して100人くらい集まったこともあったんだけど、結局は一人も残らなかったと聞いた。おじさんはいつも私には、芸は教わるものではなく自分で見て聞いて身に着けるものだと言っていたのを今でも思い出すね。

――100人の弟子が辞めてしまった理由は何だと思いますか。

やっぱり教えないからだね。結局は弟子というより人形に興味を持っている人を集めただけで本気で弟子を育てる気持ちがなかったからだと思う。

今の人は手取り足取り「こうやって動かすんだよ」ってして口伝だけではなくて台本をちゃんと書いて残さなければ覚えないと思う。自分は最終的には台本を文章にして、人形劇の総集編をDVDに出来れば残したいと思っているけどね。

――後継者を育てるのも2代目のようなやり方ではなかなか育たないと思います。
今の人は給料かけないと育たないから。そうでなければできないしね。 本当に好きだという人がいれば働きながらやってくれれば出来るだろうけど。

かなりきついよ。私でもやってても腰は痛いし多分 (ほかの人がやれば)腕上がらなくなってしまうびょん。

実際やってみればわかるよ。 ほかの人形劇やったことがある人にやらせてみたんだけど人形にばっかり集中してしまうと言葉が出てこない。

500gの人形を両手に一体ずつ維持するのはよほどの体力だよ、それにマイクを首に下げて話して。なかなか出来るものじゃないね。

4代目になる人は自分で仕事を持ちながら本当に好きでやってくれる人でなければ出来ないね。

でもただ好きだからやれるかと言ったらそれも違うと思う。やっぱりその人のある程度のセンスもないとできない。

やっぱり芸は難しい。

このままだと本当に私で終わってしまうもの。

対話する人形劇

――今は助手(姉)との二人体制ですが昔から二人体制でやっていたのですか。

いや昔は四人。うちの母も父もやっていたし。今はもうお金がないから人数限られているし、姉は普段働いているしね。本来は三味線と踊りと5、6人で一座なんですよ。

劇場にも様々な仕掛けをつけたりしてた。一座として巡っていましたからね。 昔の三味線や横笛つければ本当にいい芸ができるんですよ。 

もう今やっている劇は簡素。

時間をかけてゆっくりとやるものなんですよ。でも今の人はせっかちだから長い間席に座っていることも難しくなってきているけどね。

一般のお客さんはテレビとかYoutube とか見て飽きてしまっているからこういう古い劇を長時間見ても受けなくなってきている。 

それにお客さんの年代にもよるけど拍手の仕方が分からなくなってきているね。

――ずっと画面で見ているのが当たり前だから。

そうそう。だから劇中にわざと「ここで拍手」って言うの。特に私の人形劇に関してはお客さんと対話しながらやるものなんですよ。

それがそのほかの人形劇とはそれが違うところ。「今日は熱いね、 寒いねとか。雨降って大変だね、風邪ひいてませんか」と聞いても何も返事してくれないんですよ。

でも今はコロナで本当は集まってほしいのに集まってはいけないし声も出すのか難しいたら本当にもどかしい。

お客さんによってはすごく話してくれるお客さんもいるんだよ。

「キンタさいこう!」「やっと見に来た~」 とか言ってくれるんだよ。

しかしお客さんがずっと黙っているとどうもやりにくいね。

――お客さんによって対応を変えたりすることもあるんですか。

いつもお客さんの入りの顔をみて劇をどうするか判断するんですよ。大体。

子供が何人かでも来ているのならば、子供向けのネタをちょっとでも入れないと飽きてしまうし。

お年寄りが多い時はちょっと下ネタを入れたりしているけど、子供がいるときは無くしたり色々お客さんの年代とか反応を考えながらやってるんですよ。

一人で人形芝居をやる苦労は誰にもわからない。常に不安。

――コロナでやはり依頼は減りましたか。

コロナになる前は劇場に 3、4社くらい観光業者入っていたけれども、コロナで全部飛んじゃって生活が成り立たなくなってくるんですよ。 

自分ひとりで出来ることならばいいけれども、助手や自分の家族には迷惑かけられないから。

青森市からくる助手(姉) の分のガソリン代と給料も払わなくてはいけないし。

苦労して身に着けたものだし、 場所も提供してもらっているし続けたいと思っている。でも生活がかかっているから家族のことも考えなくてはいけない。

維特することの苦労っていうものは人形劇やっている人にしか分からないものだ。できるだけやりたいと思っているけど生活がかかっているところでね。

――木村さんは金多豆蔵以外にも米農家されていますよね。

農業は生活を保障する保険みたいなものだったけれども、それもなくなってしまった感じだな。来年米の値段も下がるって予測されているしね、 もう米を作っているのが嫌になってくる。

米農家の人は秋にならないと収入が入いらないしね。

かといって企業に勤めてしまえば突然依頼が入ったときに金多豆蔵劇のために仕事休んで人に迷惑かけてしまうからそれもできないしね。

人形劇をやっているといつ仕事が入るか、キャンセルになるかわからないし本当に不安なんですよ。

「泥くさい」津軽を受け継ぐ

津軽弁が分からないという人が津軽にもたくさんいるんですよ。だから本当の津軽弁で劇が出来なくなる。

ある学校では「教育に悪いから津軽弁を使わないでください」 って喋られたんですよ。校長先生おかしいんじゃないかと思いました。

――教育者がそんなことを言うことがあるのですか。

この津軽弁というものは、 何ていえばいいんだべな、 地元の文化でしょ。それを否定された。津軽弁でやらねば津軽の人形劇にならないでしょう。

その泥臭さっていうのがやっぱり津軽弁のいいところなんですよ。地域に密着した人形劇だからこそやってこれたんだから。

――確かに金多豆蔵劇の人形を最初に見たときは泥臭くて変な顔と思ったんですけど、見ているうちに憎めない顔と感じてきました。

一度作らせた人形があるんだけれどもあまりに綺麗すぎて劇に似合わない。金多豆蔵人形が新しくなってしまえばもう無くなってしまうのと同じこと。

二代目の人形は顔がもっと小さくて、豆蔵の顔なんて目があっちこっちにあるような顔なんですよ。

――金多豆蔵劇は地元に根付いてやってきた劇なんですね。

続けるということに関しては本当に地域の皆さんに支えなしではここまでやってこられなかったからね。

だって提供してくれる場所がなければ出来ないんだもの。そうでもなければとっくに辞めている。

本当は小さい子供さんにも金多豆蔵を見て馴染んでもらって、大人になったときに「金多豆蔵」懐かしいなって思ってもらいたいです。

今子供は芸術鑑賞でもみんな素晴らしいオーケストラとか見ているでしょ。そういった芸術だけではなくて、地域に密着した人形劇を見て親しんでほしいと思う。



金多豆蔵人形劇場・シアター

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住所 北津軽郡中泊町大字中里字亀山225-1(津軽鉄道 津軽中里駅構内)

お問い合わせ「金多豆蔵人形一座」 主宰者 木村 巌

TEL0173-58-3573、携帯 090-8788-5698

場所 津軽鉄道 津軽中里駅構内「駅ナカにぎわい空間」

開催日 毎月第1土曜日

(2022年 2月6日は青森市「アスパム」にて 10:30~、14:00~に公演されます!)

※上記の開催日以外については一公演15人以上の予約で開演いたします。

開演時間 ● 午前の部 10:30 ● 午後の部 13:00

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