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AI共存社会では,[エラー値]を出すことが僕らの価値になる

 昨年、AIについて、色々な方から質問をされました。

 その中で多かった質問が、Chat-GPTが普及したら、仕事が奪われるのか?ということでした。


人間がAIに勝る価値

 僕は、AIが今後「強いAI」になって言った場合に、ヒトとしての価値の1つに、「エラー値」を出せることにあると思っています。

 説明の前に、そもそもChat-GPTがどのように動いているかを、改めて考察してみます。

Chat-GPTは平均的な答えを返す

 Chat-GPTはどのように動いているのかについて、以前書きました。

 Chat-GPTは、僕たちの話す内容の意味を理解してるわけではなく、過去に学習した莫大なデータの中から、一番回答としてふさわしいであろう、という文章を引っ張ってきて、回答しています。

例:結婚式のスピーチ

 例えば、「会社の部下の結婚式でスピーチをします。本人が優秀であることや、ご両親をほめたたえる、スピーチを考えて下さい」とChat-GPTにお願いしたとします。

 するとChat-GPTは、学習した膨大な結婚式のスピーチから、目的に沿った、一番よく使われているスピーチを探し出し、回答します。無難で、誰が聞いても違和感のない、完璧な原稿を出力してきます。

 なぜなら、膨大なデータから、最も平均的なスピーチのデータを取り出すため、汎用性、常識性がとても高くなるからです。

「平均値のデータの抽出」が得意

 これを統計学的にいうと、「平均値」のデータを抽出するといいます。

 こんなグラフを見たことがありませんか?

標準偏差


 いわゆる、標準偏差というやつです。数学の授業ででてきますよね。

 先の結婚式で「無難なスピーチ」は、結婚式スピーチというデータの中で言うと、真ん中にある、紺色の部分にあるデータですね。ここから、依頼されたのに最適な、平均的なデータ、中央値を出力するのです。Chat-GPTは、この「中央値」を出すのが非常に得意なのですね。

 では、Chat-GPTが苦手なことは何でしょうか?これがわかれば、AIが進化してもヒトとして仕事を奪われないヒントがわかりそうです。

 それは、「エラー値を出す」ということです。

エラー値とは

  エラー値とは、同グラフの端と端にある、最も薄い青色の部分のことを指します。

標準偏差

 -3α、-2α、2α、3α、のところで、平均的なところからは大きく外れたデータのことです。

 先の結婚式のスピーチでいえば、例えば、新郎新婦をよく知る人だからこそ語れる、おめでたい席で披露するのには失礼な内容にみえて、実は非常に愛情がこもっていることが皆に伝わるスピーチ、という感じでしょうか。

 「いい内容だった!」と印象に強く残りますが、いつでもだれにでもできることではないので、統計分布的には左端や右端に位置するデータです。

 これは、Chat-GPTは決して回答できません。なぜなら、さきにも述べたとおり、中央値から最適な回答を「関数計算」して出力するように作られているからです。

 これがわかれば、簡単です。

 ヒトとして、将来AIが進歩した時に、ヒトとしての価値を出すには、Chat-GPTが答えるのが苦手である、「エラー値」を出せる能力を高める、ということです。

マスの価値がなくなる

 今後、AIは、標準的なことは、ほとんどこなせるようになるでしょう。そこで僕たちヒトは、AIが答えられない、また作り出せないであろう、エラー値を生み出せるようになることが必要になります。

 そのためには、従来の学校教育で学んできた、誰もが知るべき常識だけにとどまるのではなく、常識外にあるニッチなコンテンツを注目し、研究し、学ぶことが必要になってくる、ということです。


学びの概念がかわる

 エラー値を身に着けていくには、今までの「学び」の概念を変革しないといけません。自分の興味の赴くままに知りたいことを突き詰める安易にみんなと同じ方向になびいてしまうような同質化を避けてみる、といった認識を持つということですね。

 日本の教育は基本的に同質化、均一化の教育を行ってきました。列強諸国に「追い付け、追い越せ」の明治維新以降のみならず、第二次大戦での敗戦から復興を経て、急ピッチでの経済発展を目指した高度経済成長期にも、それが大きくプラスに働いた面は否めないでしょう。

 しかし、2020年代半ばの現在、子供を将来のAI共存社会で生きていけるように育てたいのであれば、個性を重んじた、非同質化された学びをさせていくのが、この先重要になってきます。


 この「エラー値」こそヒトの価値を生み出す、という概念は、今後AIが進歩していくにつれて、その重要性が高まります。今からその意識をもって生きていくことが重要になるのではないか、と僕は考えています。

 ではどうしていったらいいのか? 僕はどうしているのか? については、いずれ詳しく語っていきます。


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