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常識を疑いましょう。

昨日歩いて買い物から帰っている途中でふと思ったことがあった。

私たちが車や電気と呼んでいるものは果たして何なのか。

名前を付けてわかった気になっているが、これらがどうして動くのか、光を放つのか、目に見えるのか、どうやって発見されたのか私は何一つとして説明できない。

どうしてエジソンとニコラ・テスラはほぼ同時期に電気の発見に至ったのか。それはどうやって気が付いたのか。

この世の中には原子というものがあるらしく、これらは目で見えないそうだが、ではその存在をどうやって発見したのか。

例えば私たちでいう原子的な存在が、実は自分たちの住んでいる銀河系だったりすることはないのか。

原子のぶつかり合いで小さなビックバーンの現象が起こせるそうだが、すべての始まりなど本当にあるのか。

私たちが痛みを感じるメカニズムは何か。

私たちは祖先の人たちが試行錯誤して得た解釈の恩恵を得て、インターネットや車などの便利な機械を使えている。

だったら私たちの命のリレーは今ここが単に最先端なのではなくて、引き継ぐべきもので、次の世代にできるだけ恩返しをするべきなのではないのか。

そのためにも既存の知識を知り、活用して、一歩でも現状を改善するべきなのではないか。

単に名前が付けられているからと言ってわかったふりをしてはいけない。

これは人間関係も同じではないか。名前があるからその子のことを理解したつもりになってはいないか。見えていない部分に真実は隠されているかもしれない。

今までの常識を疑いだすと、自分がどれほどこの世界について無知かがよくわかる。

でも同時に知欲が溢れ出す。新しい発見はいくら小さな変化であっても自分を成長させてくれるからだ。

今日はとにかく思ったことを感じたことをつらつら綴ってみた。

私の考え方はきっとぶっ飛んでいるのかもしれないけれど、そのぶっ飛び具合がだれかの役に立てればそれでいい。

今日は以上です。


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