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不自由な肉体を受け入れられたという経験

リクルートに入社してしばらく経ち、仕事が楽しくてもっとできるようになりたいと頑張っていた24歳の頃。マネジャーとランチを食べていたら、急に世界が回り始めて気持ち悪くなり、立てなくなってしまった。

あれ、おかしい、と思ってから5分くらいで急に立てなくなった。座っているのもかなりきつい。
救急車を呼ぶか?と言ってくれるマネジャーに「そこまでしなくていいからすぐ診てくれる耳鼻科に連れて行ってくれ」と頼んで、近くの虎の門病院にタクシーで連れて行かれた。

この時なぜか、内科など他の当てはまりそうな科ではなく、「この症状は耳からきてる」とはっきりわかったのが不思議だった


前日、父親の実家のある山口県に帰省していて、長距離の新幹線に乗っていた。トンネルで耳が詰まった感じがずっと直らなくて、気になるなぁと思っていたのだが、それは気圧の変化で耳が詰まったのではなく、メニエール病の始まりだった。

メニエール病は、内耳を満たしている内リンパ液が過剰にたまる「内耳リンパ水腫」が原因で起こる、激しい回転性のめまいと難聴、耳鳴り、耳の閉塞感を繰り返す病気だ。
多くの原因不明の病気同様、ストレスが原因と言われている。

めまいというと立ちくらみのようなものを想像する人がいるが、全くレベルが違うものだ。無重力の訓練で円形のパイプでぐるぐる回転するトリプルスピンという器具があるが、あれに乗せられた感じになり、世界が文字通り「回る」のだった。

世界が回るのでとにかく気持ちが悪い。三半規管がおかしくなって乗り物酔いになるあの気持ち悪さのマックスレベルのものが襲いかかってくる。初めて倒れたときも病院に着くまで何度か吐いた。とにかく少しでも頭を動かすと強烈な吐き気が襲ってくるので、立つこともできない。付き添ってくれたマネジャーは脳の病気だったらどうしようと心配してくれたらしい。

診察を受け、いくつか検査をしてから点滴を打ってもらった。この点滴はこのあと何度もお世話になるのだが、これを打てばめまいの症状が治まる命綱のような薬だった。
耳鼻科を受診できたのが幸いして、すぐにメニエール病だろうと診断が下された。会社を1週間休んで安静にするようにと言われ、お薬を処方してもらってから会社に戻った。

たしかこの時は、残りの平日4日間のお休みをもらったと思う。メニエール病は症状が出ていないと元気そのものなので(これが完治できない原因にもなるのだが)、安静にと言われても、ずっと寝てるのも逆に不健康に思い、暇を持て余した。


メニエール病は、初期の治療できちんと薬を飲んで規則正しい生活を送れば、治る人も多い病気だ。めまいは一過性のものなので、寝ていれば治る。むしろやっかいなのは難聴と耳鳴りの方だった。
初めて症状が出た時の私は病気を甘く見ていて、「規則正しい生活を送れという方が無理」とはなから諦めて、発作を繰り返した。その結果難聴が治らず、右側の耳はいまもほとんど聞こえない。


初めてのめまいの発作の直後は、頻繁にめまいが起こった。無理をしている自覚がなくても1ヶ月に1回くらいは病院のお世話になっていた気がする。何度か救急車で運ばれたし、駅の医務室も何度も使わせてもらった。

メニエール病は、めまいの発作が起こると吐き気で立ち上がれなくなるのだが、頭を動かさなければ痛みや苦しみがほとんどないというめんどくさい病気だ。つまり、めまいの発作の間は、目を閉じていることしかできないのに体は元気、という状態になる。何度か発作を繰り返してそれを学んだ私は、思う通りに動いてくれない肉体を恨むようになっていた

18歳でダンスを始めて、どんどん体が柔らかくなり、練習を繰り返していくことで頭の中にある踊りをそのまま体で表現できるようになった経験から、「体は素直だ」と思っていた。体というものはきちんと取り組めば必ず応えてくれるものだと思っていたのに、メニエール病は自分の体から「思い上がるな」と復讐されている感じがした。自分のものだと思っていたものがコントロール不能に陥ってしまって、怖かった。

「規則正しい生活を送らないと発作が出る」といつも頭の片隅で思っているようになり、仕事もセーブしなければいけないのも辛かった。

指示されたことをこなすだけではなく、自分で工夫して改善したアウトプットをすることが楽しくなっていた頃だったので、もっと仕事をしたいと思っていた時期だった。やるべきことは減らすことができても、やりたいことがどんどん出てくるので、それを思い切りできないことが苦しかった

それでも、いくら自分が望んでなくても、体を取り替えることはできない。
どうやってこの病気と折り合いをつけて生きていくか、そちらに頭を切り替えるしかなかった。


初めての発作から1年が過ぎる頃。
どのくらい無理をしたら発作が起きやすくなるのか、なんとなくわかるようになってきていた。右側の耳は常に聞こえなかったから、それを伝えた後にそのことをどのくらい覚えていてくれているかで、相手の思いやり度がわかるようにもなっていた。
辛いので座らせてください、と電車の中で席を譲ってもらう技も覚えた。仕事を抱え込まず、自分しかわからないことを極力なくすようにした。

何より良かったことは、少し無理をし始めると、右耳の耳鳴りが教えてくれるようになったことだった。この耳鳴りが始まると「体がもたないからセーブしろ」の合図だと思って、仕事や会食を調整するようになった。

そして、ある時気がついた。私の体は私に復讐していたのではなく、守ってくれていたのだと。
無意識に我慢をしている時やストレスを抱えた時、お馬鹿な私にわかりやすく教えてくれる、アラーム機能をオプションでつけてくれたのだった。

面白いことに、そのことに感謝できた時から、発作は目に見えて少なくなっていった。

最後にめまいの発作が起こったのは約10年前。いまでも右耳は聞こえないが、私のアラーム機能はまだきちんと作動してくれている。

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