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いったりきたり



{2023.08.03の記事}

本日のお話は精神世界系の話です。

なかなかややこしい部分もあるかもしれませんが、何となく心に残ったキーワードだけ受け取っていただけると良いかと思います。

 

前々からちょこちょこ書いてきてますが、

自分の精神世界(スピリチュアルな世界)

自分の現実世界(目の前に物理的に見える世界)

どちらに傾倒し過ぎるのも良くなくて、両方を見れるようになることが望ましいんだ

と私は思ってる派です。

ブランコのように、
精神世界側→現実世界側→精神世界側→現実世界側…
いったりきたりを繰り返すことで
、自分を楽しめるのかな、と。

こういう、
【精神面と現実面のバランスを取ることを目指している思想】
が【陰陽五行思想】の根幹だとも思っていて、本当に大事なことに感じるんですよね。


陰 陽
と二面性で分けたときに、
精神と現実
男性と女性
光と闇
などなど対比するキーワードは色々なものが当てはまりますよね。

シチュエーションに合わせて解釈しなくてはいけません。

そんな中で今日書きたいと思った内容が

【自分軸】と【他人軸】

のお話です。


この話題も、かなり何度も触れてきたので繰り返しになる部分も多いかもしれませんが、とても大事だと思うから書きます。

自分軸と他人軸って、分かってしまえば
『あー、そーゆーことね!』と、簡単に分かるのだと思うのですが、
【自分軸から抜け出せない人】
【他人軸から抜け出せない人】

の間には大きな大きな壁があって、
『何で話が通じないの???』と、感じる場面が多いと思います。


例を挙げるとしたら
「今日どうしたの?顔パンパンじゃん、アンパンマンみたいだね●>∀<」
と、笑い出す人。

極端な例えですが、こういう風に、
『この発言をすることで、相手は不快に思わないかな?』
と、考えたり、躊躇することもなく
『自分が面白いと感じたから。』
と、いう感覚だけで言ってきます。

日本においては特に、昔から
『この発言をしたら、相手はどう感じるかな?』と、いう相手側への配慮を重んじる傾向も強かったので、例のような発言に対しては
『いやいや、そういう言い方をしたら、相手が傷付くかもしれないから、その言い方は良くないよ!』と、考える人の人数の方が多いとは思います。

しかし、その発言のどこが問題なのか、イマイチピンとこないままの人もまぁまぁの数が存在します。

この両者の壁は、なかなか崩すのが難しい問題なのでしょう。


念のために書いておきますが、
「今日どうしたの?顔パンパンじゃん、アンパンマンみたいだね!」
と、笑う言動が良くないと考えられる理由として、相手の顔の浮腫みが、
・怪我由来
・病気由来
など、深刻さを伴う場合も考えられるからです。

こういう場面では、
「今日顔腫れてるみたいだけど…体調良くなかった?」
など、
[気遣うニュアンスの発言の方が好ましい]
ということも一応お伝えしておきます。

もっとも、めちゃくちゃ仲の良い友達同士や兄弟間などの関係性や、知人の性格を考慮して
「アンパンマンみたいだね!」
と、笑いあっても良い場合も多いので、
・自分と相手の関係性
・相手の性格
などを元に判断することも大切ですが。


話を戻しまして。
自分がこう感じるから。』を元に言動を繰り返すのが自分軸

相手がこう感じるかもしれないから。』を元に言動を繰り返すのが他人軸

と、イメージしていただくと伝わりやすいのではないでしょうか。

そして、私個人的には
『自分がこう感じるから。』という感覚だけで生きるのも、

『相手がこう感じるかもしれないから。』と気を遣いすぎながら生きるのも、

どちらに偏り過ぎるのも良くない

と考えているのです。


まぁ…正直、凄く難しい気もするんですけどね。


私は長い間他人軸で生きてきたので、近年、自分軸になる訓練を繰り返しています。

最近はかなり掴めてきました。

なので逆に、[自分軸でずっと生きてきた人が他人軸を理解することも不可能ではないのではないか]という仮説も持っています。

【自分軸も他人軸も両方の感覚が分かるようにならなければいけない人】

が世の中に沢山いる可能性が高いので、こんな風に記事に書いてみているのです。

勿論、
【一生自分軸だけで生きる人】

【一生他人軸だけで生きる人】

います。
と、いう中でこのブログに出会ってしまったあなたはひょっとすると…

両面についての理解が必要なタイプなのかもしれませんね。


一概には言えませんが、自分軸か他人軸いずれかに物凄く偏って生きてきて
『生きづらいな…。』と、感じるシチュエーションが多かった人にとっては、
[それまでの自分とは異なる軸で選択することを学ぶこと]を促されている可能性が高いです。

ずっと自分軸で生きてきて
『生きづらいな…。』
悩むことが多いなら、
他人軸を学ぶ必要性

ずっと他人軸で生きてきて
『生きづらいな…。』
悩むことが多いなら、
自分軸を学ぶ必要性

それぞれあると思います。


ところが、巷でよく語られるスピリチュアルな話の中では
「自分軸になりましょう~。」
という話の方が多いです。

確かに、自分軸になったから上手くいった人は、
「自分軸になりさえすれば、上手くいきますよ◎」
と、言うでしょう。

しかし、世の中には逆に
他人軸を学んだら上手くいく流れになる人】
もいるし、私のように
【自分軸も他人軸も両方バランス良く体験することを促される流れの人】
もいます。

色々なタイプがいますので、自分自身で判断しなければいけない場合もとても多いです。


『なんだか人生上手くいかないな…。』と、悩んだときは
『とりあえず自分軸…。』と考える前に

『自分は今までどっちで生きてきたかな?今は、どっちで生きるべきかな?』

と、ご自身の軸を見直してみるのも有効です。

ピンときた方は是非是非ご自身の軸を見直してみてください。


自分軸や他人軸の概念は、体感しないとなかなか理解が難しい面が多いと思います。

中でも
人からどう思われているのかな?』という感覚は、
[外側から"自分のことを"見つめている]
ので、一見自分軸になっているように感じるかもしれません。

しかし、一旦軸を自分の"外側"に出してしまった時点で、それは他人軸になってしまうのです。


自分軸とは、
『他人からどう見られる、思われる。』
という概念が無い状態です。

ただそこに自分が存在して、
『今、自分が何を感じるか。』
だけが基準になります。


ガッツリ他人軸で生きてきた人間にとっては、なかなかこの
『他人は自分のことをどう見るだろう…?』という視点に立ってしまう意識の癖を直すのは、結構難しい部分があると思います。

ことある毎に意識して、
自分は今どう感じるかな?』
自分は今何を選びたいかな?』
自分は今どうしたいかな?』
丁寧に選択するように心掛ける必要があるでしょう。

もしかすると、切り替わるまでに少々時間は掛かるかもしれませんが、丁寧に丁寧に逐一選択の度に、
自分はどう思う?』と、自分に問いかけてあげることを繰り返すのが望ましいです。

『自分はどうしたいかな?』と、自然に振り返ることができるようにさえなってしまえば、自分軸で選択することは難しくなくなっていることでしょう。


私は、かなり幼い頃から他人軸で生きてきたので、正直【自分軸から他人軸になる方法】についてはよく分かりません。

覚えていないんですよね。

ただ、他人軸もある程度必要であることだけは伝えたいです。

相手はどう思うかな?』というほんの一瞬の気遣い

たったそれだけで防げるもめ事は結構多いんですよね。

先ほどの例で例えるなら、
「アンパンマンみたいだね!●>∀<」
と、楽しい気分を分かち合おうとした善意から出てる言葉だったりする訳じゃないですか。

本来は善意のつもりで伝えたかっただけだったとしても、
"相手が"
「実は、大きな病気が見付かって、投薬治療を始めたばかりだから、その影響で…。」
と、いう状況だったとしたら、善意どころか暴言に感じる可能性もありますよね。

『今、この言葉を言ったら、相手は喜ぶかな?不快に感じないかな?』と、ワンクッション挟めるだけで、不用意に相手を傷付けたり、喧嘩や仲違いせずに済むケースって世の中には結っっっ構あるんじゃないでしょうか。

ほんの一瞬
『相手はどう感じるかな?』と気を遣ってあげられるだけで、争いは防げるのだから、他人軸という感覚は分かってる人が多いに越したことはないと私は考えています。


先ほども書いたように、
【自分軸しか分からない人】

【他人軸しか分からない人】
の話は平行線しか辿りません。

永遠に通じ合いません。

ですが、この話の内容が何となく理解できれば、
『そうか!あの人のあの言動はそういうことだったのか…!』と解ることもあるかと思います。

必要な人に届くと良いなって思います。


他人軸がしっかり理解できているタイプの人は、他人に対して
『ちょっと考えれば分かることなのに、何で分からないの???』と、イライラした経験が少なくないのではないかと思います。

その問題の原因の多くはこの、
[自分軸と他人軸のすれ違い]
だったりするんですよね…。

しかも、ガッツリ他人軸で生きていればいるほど、自分軸しか分からない人を近くに引き寄せちゃうから…
ストレスフルになってしまうこともあるあるなのではないでしょうか。


本来、『自分軸で選択する』っていうのは確かに大事なんですよ。

大事なんですけど、社会生活を送る上では『他人軸で配慮する』も一部できた方が良いんですよ。

難しいことなんですけどね…。


より多くの人が
自分軸で選択はするけど、
他人軸で配慮もするよ

っていうことができると、かなり平和な社会でいられます。

そういう点についても、理解している人が増えると良いなって思います。


まぁとにかく本当に伝えたい要所っていうのが、
「自分軸にさえなれば良いんだよ!」

っていう思い込みは持ちすぎないようにしてみてください!


っていう部分なんですよ。

「他人軸を学ぶのが人生の課題の内の1つ!」
っていう人もいるだろうし、

「人生の半分は他人軸で生きて残りの半分は自分軸で生きる!」
っていう人もいるだろうし、本当に色々な人がいるので、安直に

「これさえやれば、幸せになれる!」
っていう極端な思い込みを持たないようにした方が、結果的に"自分が求める幸せ"っていうものを見付けやすいんです。

自分で自分を
『これをやらないと幸せになれない!』と縛ってしまう人が減る流れになるように、この話を書いておきます。

必要な人に必要なメッセージが届きますように。

おわり


私の想い

「全てが…」とは言わないんだけど、
私はどうも【自分軸しか分からない人の言動】に、【紙で指を切ってしまう時のような鋭さ】を感じることが多かったんですよね。

だから、
「自分軸になりましょう~!」
って安易に語ってるのを見ると、凄くモヤモヤしてしまうんです。

いやぁ、分かるんですよ。

日本においては特に、他人軸で生きるように強いられるケースの方が多いから、自分軸になれることを目指した方が幸せになれる人の割合は多いと思います。

けど、社会生活、特に会社だったり学校だったり、特定の環境下複数人共同生活する上では他人軸が必要な部分があるってことも現代はまだ思ってた方が良いと思うし、そういう"所属している環境"がある場合は自分軸だけではダメだと思うし、

「とりあえず自分軸になりさえすれば良いから~。」

っていう考えはマジで違うと思うのよ!


多分私みたいにずっと他人軸で生きてきながら
『生きづらいなぁ…。』って感じてきたタイプにとっては、
『いやいや、自分軸になりましょうって言うけど、自分軸の人間がどれだけ他人のことを無自覚に傷付けてるか分かってんの?!』って風に感じる人も結構いるんじゃないですかね?

私自身は、

無自覚に人を傷付ける人間を量産しないで欲しい

ととても感じてるんですよ。

なので、ちょっとでも

「いやいや、他人軸が分かってることも必要だよ?」

って言える人が増えますように。

と思ってこの話を書きました。


気を遣い過ぎるのは、確かに間違いだと私も思います。

私も考え過ぎて失敗した経験は多いので、そこは分かります。

ただ、本文で書いたように[一瞬配慮するだけ]で届く言葉って変わるので、

『その一瞬さえも他人の為に遣ってあげない。』ってのも、違うんじゃないですかね?

と、私は思うんです。

こういう話って、答えとか正解は無いとは思うんですけど、複雑な悩みの中にいる人が抜け出せるきっかけになったら良いなって思います。

必要な人に届きますように。


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