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走るわたし。

小さな月がひょっこりと顔を出す一枚。
気づけるかな、気づいていたかな。
びっくりするほど
おまぬけ、なことが多くて
最近はあたふたしてばかり、そんな3月の終わり。
桜の木にも緑がちらほら見えてくる。
時間が経つのは早い。

私のお母さんが,そんな私に向かって言うこと
“走る電車の中を急いで走ってるだけだよ”

たしかに、時間流れは変わらない。
自分の力だけではどうにもならないこの流れは
早めることも遅めることも
映画のようにシュッ!っとタイムスリップなんて出来ないと思う。
だけどそんな時、徳を積もう、お祈りしよう、先手打っておこう、何かできることやろう....とか。
ほんの少しでも未来が明るくなるように
ほんの少しでも良い方向に傾くように
行動したくなる。
だから、ね、もっと早く動きなよ、確認してから進みなよ、過去の自分に言いたくなるけどそんなことも出来ずとりあえず気づいた今急いで走ろうとする。
でも、そうだね、大丈夫。信じてみよう。と電車の中を走っていた自分に気づくことができる言葉だったりしたんだ。

走ることで、気づけたこともある。
変わらないことだってある。
少し、良い方向に傾いた時、走って良かったと思ったりもする。変わっていないのだろうけど。
時間軸や世界の流れが自分と対になって進むこともなく、この世界にはきっと平等や対等が成立することもないのだろうけど。
生き急ぐ生活に慣れたのはいつだろうか。
息をしてる自分、街の小さな音を忘れがちになってはいないだろうか。
慌ててすっ転んで、それでも立ち上がって歩き出すのは小さい頃から変わらない。泣いても痛くても、時間がどれだけ流れても。

私がふと足を止めても、世界は回り続けているけれど、そんなちっぽけな私でもその世界の一部であることを知っている。時にはその世界を敵に回して、時にはその世界のことなんて忘れて必死になって生きている。
もしかしたら、私の生きるこの世界なんて、本の中のことかも知れなくて、別の世界の人達がくすくす笑いながら読んでいたりするのかな。
もしかしたら、私の生きる今この時間は、漫画の小さな一コマで、すぐにペラっと簡単に捲れちゃうのかな。

生きるって不思議なこと。
1人じゃ生きられなくて、私以上の存在がこの世界の歯車を回していて、だから私も誰かのその存在で歯車を回していて、地球はいつまでも丸くて私たちを角っこには追いやったりしないんだ。
それでも、痛みや苦しみが悲しみが小さな私を暗い部屋に閉じ込める。喜びや優しさが私に優しい光を当ててくれる。右往左往しながら、試行錯誤しながら、一喜一憂しながら?生きているんだよなあ。
それは全て、人と、世界とのコネクトがあるからできること。

ふと足を止めて、今を感じてみる。
今走る電車の中で、私はどんな時間を生きたいだろう。
春の優しいお日様と、桜が彩る暖かい街の中で、忙しなく、やっぱり今日も私たちは走り続けてしまうんだろう。

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