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父との距離感

私が20歳の時、父は急に亡くなった。
あれからもう15年以上経つのに
父が亡くなった実感は、まだありません。

父とは離れて暮らしていました。

私が6歳になる年に
父と母は離れて暮らす選択をして
私は弟と一緒に
母の実家(おばあちゃんの家)に
引っ越すことになった。

父が住む街から
車で3時間程の田舎町。

ちょっとでかけてくるね、
くらいの距離感だったから

夏休みや冬休みには
高速バスに乗って
弟と二人で父の家へ遊びに行った。

でも、高校生になった頃くらいから
父との距離は
だんだん遠くなっていった。

同じ屋根の下で暮らしていても
思春期になれば
異性の親との関わりが変わっていく時期。

離れて暮らす父のことは
全くわからないし
どう接したらいいのかわからなくなって

連絡がだんだんと減っていった。

でも、別に寂しくはなかった。

父は寂しかったみたいで
たまに届く手紙には
「たまには声を聞かせてほしい」と
書いてあったような記憶がある。

ほとんど電話もしないまま
高校を卒業して
私は進学のために一人暮らしをすることになった。

そこは、父が住む街。
父の家から車で30分くらいの距離だった。

引っ越しの時には
父も手伝いに来てくれた。

「何かあればいつでも連絡するんだよ」
と言っていたような気がする。

だけど、やっぱり私は
父、だけど、
一緒に暮らしていないその“男の人”との距離感を、

この距離感をどうしたらいいのかわからなくて
縮めることも離すこともできないまま
すごく居心地が悪い距離感のまま
現状維持を選んだ。

一緒に住んでいないからわからない。
父が何を考えているのか
どんな生活をしているのか。

話せばいいんだろうけど
何を話せばいいのかもわからない。

だからと言って
自分のことをペラペラと話すのも
なんだか恥ずかしいような
知られたくないような気持ちがして

何も言えないまま
いつでも会えるし、と
その距離を保ったままだった。

父が亡くなった1週間くらい前に
たしか電話があった。

「美味しい“蕎麦の寿司”があるんだ。
次のお休みにでも連れて行ってあげるよ。」

私はなんて返事をしたのかは
覚えていない。

いつでも行けるし、と思っていたから
適当に返事をしたに違いない。

でも、
もう行けないに変わってしまった。

蕎麦の寿司屋に行くどころか
もう父には会えなくなってしまった。

父が灰になっていったのも見届けたし
そのあとに何度かお墓参りもした。

でも、今も父が亡くなったことは
私の中では現実ではない。

いつも離れて暮らしていたから、
今もどこか離れた場所にいて
たまには電話で声が聴きたいな、なんて
思っているんじゃないかなって思う。

突然手紙が届いて
今度の休みに蕎麦の寿司屋に行こうと
誘ってくるんじゃないかと思う。

でも、もう地球上のどこを探しても
父はいないらしい。

本当は私は
どうしたかったんだろう。

今自分の気持ちと向き合ってみても
答えはわからない。

父ともっと一緒に過ごしたかったのか、
もっとたくさん話がしたかったのか、
参観日や運動会に来てほしかったのか、

そうだった気もするし、
でもそうじゃない気もする。

でも一つ言えることは
あのとき一緒に蕎麦の寿司屋に行けなかったことを
今でも私は後悔している。

多分、何度も誘ってくれていたはず。
でも「仕事が忙しいから」とか
何かと理由をつけて

父が距離を縮めようとしてくれていることを感じて
それが怖くて逃げていた。

縮まった先に
何があるのかわからなくて
今の距離感を壊せなくて逃げたことが
一番の後悔。

父が亡くなった時に
心に決めたことがある。

またいつか、はない。
だから、会いたい人には
いま会いに行かないといけない。

距離が近づいたその先に
何があるかわからなくても

会いたいと思う人がいるのなら
いますぐ、会いに行く。

それが後悔に変わらないうちに。


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