凪笑(nagie)

アラフォー、女性。「接客の仕事中にイライラして苦しくなるのはなんでだろう?」という問い…

凪笑(nagie)

アラフォー、女性。「接客の仕事中にイライラして苦しくなるのはなんでだろう?」という問いを軸にした、セルフセラピーの記録をつづってゆきます。

最近の記事

旅先での出会いでさえも。

昨日、出かけた先で、見知らぬ人と言葉を交わした。どちらから?とか、お花が綺麗ですね、とか、お気をつけて、とかの、他愛のないやりとり。 それで思い出したのだけれど、私、20代の頃、よく一人旅をしていた。その旅先で、知らない人と会話する機会はけっこうあって、それが楽しいとも思っていたけど、なんか、変だな、という気もしていたのだ。疲れる感じがしていたし、もしまたどこかで同じ人に会ったら、ちょっと困る気がしていた。 作っていたんだよね。"素敵な出会いがあった"と思ってもらえそうな

    • もっと大きな視野で物事を見たい。

      ふと、「目の前の感情じゃなくて、もっと大きな視野で物事を見る」ってことなのかなぁ・・・と思った。 いま目の前にあるものも大事。でも同時に、もっと違うもの。 会社の為とかクライアントの為とかじゃなくて(いやそれでもいいんだけど)、自分が我慢して他人の為にとか、そういうことではなくて、 なにか、自分の心の豊かさにつながるような、それが世界にほんのちょっと貢献することでもあるような。 具体的にどういう行動がそれにあたるのか分からないけど、ひとまず心の中に置いておこうと思う。

      • ホワイトボードの文字を消すイメージ。

        イライラとかモヤモヤとかザワザワとか。否定も肯定もせず、心をフラットに無音にする。ホワイトボードに書いた文字を、クリーナーでさーっと消すイメージ、というのも良いかも。黒板だと、なんとなく、消しても白っぽいチョークの粉の跡が残るイメージがあるので、ホワイトボードで。書かれた文字(浮かんだ感情)の是非はどうでもよくて、ただ、ササッと、きれいに消す。

        • 役割を素の自分より上にしない。

          昨日書いた、素の自分を否定せずに演じる、ということ。 役割を演じることに、価値観を持ち込まない、ということなのかな。 役割を素の自分より上にしない。言葉にすると「だよね」と思うけど、普段気づかずにやってるなぁ。「そうしないように」と戦ってしまうとまたぐるぐるしんどいから、ただ気づく、ということが大事なんだと思う。

        旅先での出会いでさえも。

          素の自分を否定せずに、「演じる」。

          少し前に、朝、テレビで若い女優さんを見た。以前ドラマや雑誌の写真で見たときは、初々しい印象だったのだけど、久しぶりに見た彼女の笑顔は、なんていうか「慣れた」感じがした。強くて余裕のある感じ、というか。 その変化を、良いとも思わなかったのだけど(だから名前は伏せることにする)、ふと仕事中に意識して、真似してみた。 なんとなく、気持ちが楽。たぶん、「良いとも思わなかった」から、楽なんだと思った。 制服で持ち場にいるときは「演じる」みたいなことを言われるけど、演じる像が自分よ

          素の自分を否定せずに、「演じる」。

          こんな日もある・・・

          noteを書き始めてから、アウトプットすることで自分の気持ちの動きを受け止めたり、整理したりできるのか、「なんかちょっと楽かも〜」と思っていたのだけど、急にまた不安定になった。 まぁ、そんな日もあるさ(こういう言葉って、感覚としてはその通りなのに、なんで言葉にすると嘘っぽくなるんだろう・・・) ちょっとゆっくり休みます。

          こんな日もある・・・

          「優しくなりたいのに」という気持ちの、嘘というか罠。

          「なんでイライラしちゃうんだろう。優しくなりたいのに」って思う時って、「なんで」も「優しくなりたい」も嘘だと、心のどこかで感じている。 嘘というか、罠のようなもの。 「だけど私にはどうにもできない」って言いたい、のだと思う。「不本意」という思いは、「だけど、どうにもできないんだ」と気持ちを強化する。それは、言い訳したいとか、自分のダメさをごまかしたいとかじゃなくて、「私は無力だ」という、強力な蟻地獄のような自己認識があって、そこに引きずりこもうとしている感じ。 深い無力

          「優しくなりたいのに」という気持ちの、嘘というか罠。

          フラットに無になる。

          反射的な感情への対処法。 自分の内側を無音にする。 自分が透明になって、風が吹き抜けてゆくイメージを持つ、というのもある。 内側に浮かぶものを否定も肯定もせず、フラットに無になる感じ。無表情の"無"ではなくて、透明なゼロの無。

          フラットに無になる。

          反射的な感情への対処法。

          イライラだけじゃなくて、「反射的に自分を責める」(私はこっちのほうが多い)とかもだけど、気づいたら 「とりあえず、黙って、自分の内から言葉を消す」感じにするのが1番いい気がする。ミュートボタンを押して、無音にする感覚。それだけ。それ以外のことはしない。何も考えない。力を入れない。 このミュートボタンは、リモコンじゃなくて本体のイメージのほうが、なぜかしっくりくる。 「あぁ、今イライラしてるんだな」とか、言葉で受け止めようとすると、「ほっとけ、いちいちやかましいわ」と別の

          反射的な感情への対処法。

          「早く人間になりたい。」

          子どもの頃から「いいひとロボット(というか、人を怒らせないロボット)」になろうと頑張ってきて、そのルールをそのまま、大人になって仕事に持ち込んだ、という感じがする。人の顔色を読んだり、機嫌を損ねないようにする無自覚の癖は、それがそのまま、私のホスピタリティになった。 ロボットじゃなくて、人間になりたかった、それだけなのかもしれないな、とふと思った。自分をコントロールしようとして固く固く作ってきた殻を壊したくて、イライラするのもモヤモヤするのも、ただのそのプロセスなのかも。

          「早く人間になりたい。」

          受け取り下手の処方箋。

          人からの好意や優しさを受け取るのが苦手だ。「ありがとう」と感じよく受け取るのが礼儀だろうと思っているので、見かけ上そういう対応はできる。(できない時もある) ふと、1番の処方箋は、「受け取らなくてもいい」という選択肢を、自分に本当に与えてあげることなのかもしれないと思った。 差し出される好意に対して「相手の望む反応を返さないといけない」「相手が喜ぶような喜び方をしないといけない」という感覚が強くあって。自分が嬉しいかどうか感じる前に、どう反応すべきかに気をとられる。だから

          受け取り下手の処方箋。

          「共感」の内側にあるもの。

          今まで生きてきて、何度か言われたことのある褒め言葉に、「人の話を共感して聴く」みたいなものがある。実際に私の態度のなにかに、癒やされたり救われたりした人もいたのだろうと思う。でも、私にとってそれは、言われて嬉しいというよりも、モヤモヤ複雑に感じることで、 唐突な喩えになるけど、「お葬式の途中で自分がいきなり笑い出すんじゃないかと不安で、必死で周りの人に合わせて悲しい顔をしていたら、深く悲しんでいると思われた」みたいな感じというか、「こんな場面では人はこんな気持ちになる」とい

          「共感」の内側にあるもの。

          回し車のハムスターを見守る目線で、自分を観る。

          昨日書いた、「人とのコミュニケーションが苦手だけど、接客はできる」と「接客中に苛つく」は根っこが同じかもしれない、という話。 だとしたら、「接客しかできないと思って必死で仮面を厚くしていた私」(過去形で書いてるけど、今の自分の中にあるその要素、その感覚、ということでもある)を、ただ、受け止めて、イイコイイコするような気持ちでいられたら、いいのかも。 あまり思いをこめすぎず、"まぁどちらかというと優しい気持ち"くらいの感覚で、ただ見守る感じ。ハムスターが回し車で回ってるのを

          回し車のハムスターを見守る目線で、自分を観る。

          「人とのコミュニケーションは苦手だけど、接客はできる」

          ある時期までの、私が接客・サービスの仕事を選んできた理由。それは、 「人とのコミュニケーションは苦手だけど、仕事で、『店員とお客様』という役割があれば、大丈夫。」だと思っていたこと。 ずっとそう思ってきて、「それしかない(それがなくなったらただの全方位のコミュ障)」だと思ったから必死で、「感じのよい店員」の仮面をどんどん厚くしていった。実際は内面は不安定だったし、外から見ても不自然な部分もあったと思うけど、人によっては私の対応を褒めてくれて、だからますます抜けられなくなっ

          「人とのコミュニケーションは苦手だけど、接客はできる」

          「素敵な店員さんになりたい」と思えなくて。

          たまに行くカフェで、一人だけ、笑顔がキラキラ素敵で、感じのよい店員さんがいる。行動の一つ一つに、ほんのりと自然に、ポジティブな意図がこめられているのを感じる。同じ店の他のスタッフは、フツーだけど微妙にやる気がないような、そんな感じ。 この間、その店でごはんを食べていて、ふと。「キラキラさん(仮名)と、他の子たちの仕事のしかたと、どっちで在りたいかって言ったら、そりゃあキラキラさんだよなぁ」と思った。でも同時に、「よし、じゃあ私もあのように仕事をしよう!」とは思わなかった。と

          「素敵な店員さんになりたい」と思えなくて。

          「これは私の強みになるかも」について。

          「この苦しさは私の強みになるかも」と思えただけで、だいぶすっきりした感じがする。たぶん、自分の心の動きを自分で受け入れられなくて、葛藤していたことが、1番しんどかったのだろうと思う。 「強みになるかも」とか「私の資産になるかも」って、感覚としては「一瞬でハッキリ決めた」みたいな感じ。肚を括って、こんな自分を受け入れて、責めることも目を背けることもやめようと決めた感じ。 そうしたら、すごく重苦しく混沌として、わけがわからなかったものが、ただ、「接客中頻繁にイライラする」とい

          「これは私の強みになるかも」について。