「人とのコミュニケーションは苦手だけど、接客はできる」

ある時期までの、私が接客・サービスの仕事を選んできた理由。それは、

「人とのコミュニケーションは苦手だけど、仕事で、『店員とお客様』という役割があれば、大丈夫。」だと思っていたこと。

ずっとそう思ってきて、「それしかない(それがなくなったらただの全方位のコミュ障)」だと思ったから必死で、「感じのよい店員」の仮面をどんどん厚くしていった。実際は内面は不安定だったし、外から見ても不自然な部分もあったと思うけど、人によっては私の対応を褒めてくれて、だからますます抜けられなくなって。

そんなふうにやってきたことと、「接客中にイライラする」は、たぶん表裏だと思う。

感じのよい店員でいようとしていた時も、自分の内側から、理屈にならない苛立ちが、ひび割れたすきまからしみ出してくるような感覚は、あった。でも「人から見てこうありたい自分」が強すぎて、そこにあてはまらないものは、ないことにして押し込めてきたのだよね。その最中には無自覚に。

だから何、というオチを、今思いつかないのだけど。

少なくとも私の場合の「接客だけはできる」と「接客中に苛つく」は、根っこは同じなんじゃないか?と思えたことが、けっこう大きな気づきだと思ったので、書き残しておく。


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