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生きる

先日、出先で谷川俊太郎さんの「生きる」という詩を模写したものが飾ってあった。

生きる

生きているということ
いま生きているということ…


という文章から始まる詩。小学生の時に授業で習ったことを思い出した。


当時はその詩について何を感じ、何を考えていたのか思い出すことはできないけど、改めて詩を読むと些細な日常が溢れていて、好きだなと思った。


同時に、自分にとっての「生きる」とはどういうことなのか。というわけで、わたしにとっての「生きる」を作ってみた。




生きる

生きているということ
いま生きているということ
それはお腹が空くということ
今日もご飯が美味しいということ
歩くということ
湯船に浸かるお風呂が気持ちいいということ
眠くなるということ


生きているということ
いま生きているということ
それは思考するということ
何かを感じるということ
知りたいと思うこと
学ぶということ
変わるということ


生きているということ
いま生きているということ
それは人に出会うということ
大切な人と同じ時を過ごすということ
笑うということ
楽しいということ
嬉しいということ


生きているということ
いま生きているということ
それは疲れるということ
孤独や寂しさを感じるということ
不安や悩みがあるということ
腹が立つということ


生きているということ
いま生きているということ
それは自然を感じられるということ
鳥の囀りが聞こえる
雨の音が聞こえる
水が流れる音が聞こえる
虫の音が聞こえる
やわらかい風が吹く
雲が動いている
雨粒がついた葉っぱ
清々しい空 
雲に覆われている空
夕焼け空
星が見える空
私たちは生かされている


生きているということ
いま生きているということ
それは色々な景色を見るということ
それは巡り会うということ
好きなことを見つけ
好きなことをするということ
自由だということ


私たちはなんだってできる
それが生きているということ


おわり




詩なんて普段書くことないし、気軽に書いてみようと思って書き始めたけど、いやー、難しかった。何が難しいって短い言葉で自分の気持ちを表現することが難しい。いつもは自分のテンションそのままに書けるけど。改めて詩を書く人ってすごいなと思った。


話は少しは変わって、この詩を考えていた日に、ある芸能人の訃報のニュースが流れてきた。自分がとやかく言うことはないのだけど、それでも自ら生きることをやめてしまうのはやっぱり悲しいことだなと思う。ネットから殺人が生まれる世界なんて誰が想像しただろうか。ネットがない世界に生きていれば、救われていた命があったのだろうか。


生きることをやめる選択を取るのなら、なんだってできるじゃんって思うよ。誰も知らない場所に行くとか、そこが自分にとっていい場所になるかはわからないけど、でもきっと今の場所よりはマシなはず。それでも、生きることをやめる人たちはそんなことを考える精神状態でもなければ、生きることそのものが辛いことなのだろうか。


そんな思いも込めて詩の最後に「(生きていれば)私たちはなんだってできる」と書いた。生きることをやめてしまったら選択肢も可能性もゼロだ。でも、生きている限り選択肢も可能性はある。だから、生きている限り私たちは何だってできるのだと強く思う。






最後まで読んでいただきありがとうございます!いつか書くを仕事にできたらいいなと思っています。応援いただけるとすごく嬉しいです✌️